26 9月

出島復元記念講演会 @オランダ王国大使館出島ルーム

江戸時代、オランダと日本の交易の玄関口だった長崎県の出島。みなさんも歴史の授業で学んだことがあると思いますが、海に浮かんでいたかつての姿を取り戻そうと「出島復元」の計画が現在も進行していることをご存知でしょうか。

復元計画が始まったのは1951年。50余年の歳月を経て2016年に19世紀初頭の街並みが蘇り、今年11月に表門橋が完成します。この橋の完成により、江戸時代、通詞や役人、使用人などがそうしたように、橋を渡って出島に入ることができるようになります。

FANでは表門橋の完成を目前にした9月22日、「出島復元記念講演会」を主催しました。会場はオランダ王国大使館の出島ルームです。生憎、雨に見舞われてしまいましたが、54名にご出席いただき有意義なひと時を送ることができました。早速、講演会の模様をご報告いたします。

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9月22日、朝は確かに晴れていました。秋らしい涼やかな風が吹き、講演会後の懇親会はさぞ気持ちのいいプールサイドで参加者皆様と楽しい時間を過ごせるものと、信じておりました。天気予報は午後から夕方にかけて、雨!、なんということ。願い虚しく天気予報は的中し、雨の中54名の方々の出席をいただき、講演会は予定通り出島ルーム、懇親会は屋内ということで無事開催されました。

今回はトン・ファン・ゼイラント氏(オランダ王国大使館参事官)とイサベル・田中・ファンダーレン氏(東京大学史料編纂所共同研究員)が大変に興味深く、且つ新たな視点での日蘭関係や出島に関する情報をご提示いただき、参加者は緊張感をもって聞き入りました。

 

トン・ファン・ゼイラント氏からのお話しから
オランダ政府が日本とオランダの交流を目的としたプロジェクト「Holland-九州」 は平戸オランダ商館復元を含み、数々の事業を行っています。

平戸茶会―平戸松浦藩に伝わる武家茶道「鎮信流」と共に平戸のお菓子文化は飛躍的に発達しました。オランダのクリエーターと平戸の菓子職人が智慧を出し合って新たな平戸菓子が誕生。オランダ茶会を松浦資料館で開催し、オランダ人も着物を着て濃茶、薄茶とお菓子を楽しみました。その他、お酒、染物、陶器などを共同創作し、新しい製品への挑戦をしています。

日本で亡くなったオランダ人の墓が長崎の悟真寺にあります。オランダ人も供養のためにお参りしています。

音楽の分野においても「JAZZ in Kyushu」を開催し音楽アーテイストとの交流を深めました。今年の11月には出島表門復元完成を記念して、ロイヤル・コンセルトヘボウオーケストラが長崎で演奏会を行います。

今年最大の出来事は何といっても出島表門橋(旧江戸橋)の復元完成です。すでに出島の建物は全て復元され、表門橋の完成を待つばかりでした。こうした交流を通じて更に日本とオランダが友好的な付き合いが続くことを祈っています。

 

イサベル・田中・ファンダーレン氏のお話しから
今まで、出島の住人として注目されてきたのはオランダ人が中心でした。でも出島には数人のオランダ人以外に時にはその2倍の人数を要する奴隷身分であったインドやマレー系の若い男性もいたのです。彼らはこれまであまり光が当てられませんでした。しかし、大いに日蘭関係に貢献し、「黒坊」(クロン坊、クロ坊)と愛称された存在でした。「長崎版画」「西遊日記」「長崎見聞録」など日本人が描いた当時の史料を参考にしながら、その役割について考えてみたいと思います。

17世紀奴隷売買が盛んな頃、この商売に携わった国の中にオランダも含まれていました。
オランダ東インド会社が扱った奴隷の量は南米に送られた奴隷と匹敵する位であったといわれています。南米へは主にアフリカ系人民がプランテーションに携わるための働きを期待されて送られていました。オランダは主にアジア系のインドやマレー人を家内労働目的の働き手として売買にくみしていました。

そうした奴隷身分の若い男性を引き連れて、オランダ人は出島にやってきたのです。何故なら、出島には妻を同伴することを許されず、女性は遊女以外入ることを禁じられていました。従って身の回りの世話をする男の召使が必要だったからです。商館長には15~20人の召使がつき、その下の身分でも一人に2~3人の召使がいました。召使がオランダ人よりも圧倒的に多いという事です。

オランダ東インド会社は1619年にバタヴィア(インドネシア・ジャカルタ)に商館を設立して、日本やアジアとの交易活動を始めました。初め奴隷はインド系が多かったのですが、その内にインドネシア系が殆どを占めるようになります。バタヴィアの奴隷達の中には、オランダ人の妻になった者もいます。奴隷の子供とオランダ人の子供は一緒に遊んだりしましたが、教育を受けたのはオランダ人の子供だけでした。

出島で彼らはどのような仕事をしたのでしょうか。料理、洗濯、掃除と共に野菜の栽培や家畜の世話などもこなしました。時にはバトミントンに戯れていたようで、版画などが残っています。日本のバトミントン発祥の地といえるかも知れません。

料理は完全なオランダ風ではなく、インド・マレー系、或いは日本の料理人の影響を受けたハイブリットなオランダ料理でした。日本人が遊学のために江戸から訪れた折に、こうした料理を振舞われ、異国情緒にひたった記録が多くあります。

オランダ人は召使のことをモノとして見ていましたが、日本人は紀行文などに人間として愛すべき存在として書いています。司馬江漢などは日本の冬を越す彼らに同情をこめた絵を描き暖かい眼差しで見ていました。

彼らはオランダ人の出島生活をサポートし、オランダ人と日本人の関係をスムーズに運ぶ重要な存在であったといえます。

オランダの伝統的なクリスマス行事の「シンタクラース」にピートという黒人のお供が登場しますが、これは昔の奴隷売買の記憶を呼び覚ますとして、現在は多々批判があり、議論がつきません。又、アメリカにおいても、過去の奴隷制度に対する賛否両論の争いがつい最近もありました。死者まで出たのは記憶に新しい出来事です。過去を現在の目で見るのは難しいですが、歴史を研究する者として時には不愉快な出来事も世に知らせる義務があると思っています。歴史は切り取られたものではなく、現在も続いているものだと改めて認識します。


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講演終了後、ロビーに美しく盛り付けられたお料理を目の前にして感嘆の声があふれ、ビール、ワイン、ソフトドリンクと共に懇親の時間はあっという間に過ぎていきました。

なお、今回のイベントはオランダ大使館のご厚意で開催できました。多くの参加申し込みがあり、こちらの様々な要望に対し親切にご対応いただきました大使館及び事務方の方々に心から感謝申し上げます。

FANはこれからもオランダをキーワードに有意義で楽しいイベントを企画していきたいと思います。
その時、再び皆様にお会いできることを楽しみにしております。

 

 

08 6月

戸定邸と千葉大学の庭園散策

予報では梅雨入りが心配された6月3日(土)、天が味方してくれたのか好天に恵まれ、46名もの皆様にご参加いただき「徳川家ゆかりの戸定邸と千葉大学の庭園散策」を開催いたしました。

松戸市戸定邸にて集合、4名のボランティア松戸シティガイドの方々の引率で、「戸定邸」と「歴史館」に分かれて見学を開始しました。

戸定邸は、15代将軍、慶喜の弟の昭武によって明治に建てられた純和風の木造平屋一部二階建てで、徳川家の住まいとして残された唯一の建築物です。


内部は最上等の杉材をふんだんに使いながらも装飾を最小限に留めており、空間に静かな気品が漂っていました。庭園には昭武が「パリ万国博覧会」に外遊した際に学んだと思われる洋風の技法が多く取り入られているそうです。


歴史館では、1867年パリ万博150周年記念展「プリンス・トクガワと渋沢栄一」展が開催されており、徳川昭武と渋沢栄一との出会いから、パリ万国博覧会の開催当時の会場図面などが展示されていました。「各国巡歴」のコーナーにオランダ国王:ウイレム3世の肖像写真が展示されていたのは、FANとして大変印象に残りました。

戸定邸をあとに、シティガイドの案内で緑の回廊を抜けて隣接する千葉大学キャンパスへ。


数年前に100周年を迎えたという鬱蒼と茂った森の中を散策し記念会館に到着。そこで造園学の名誉教授の藤井英二郎先生から貴重なスライドを交えながら「戸定邸」と「大学キャンパス」の講演を受けました。


戸定邸の庭園は、一見は和風庭園のようだが、実は客間前の書院造庭園は雨落溝の際まで広い芝生が張られており、点在する丸い樹形は洋風要素の特徴だそうです。また、大学キャンパスのイタリア式、フランス式、イギリス式の庭園では、樹木が大きいと庭園が小さく見えてしまうため、庭園を取り囲むチャボヒバのトピアリー(常緑樹や低木を刈り込んで作られる造形物)は約百年にわたって透かし剪定されてきたそうです。その樹形は和洋折衷樹形として極めて貴重であると藤井先生。興味深い先生の説明とともに午前中散策した場所を振り返り、改めて庭園の見方を学ぶようでした。ちなみに、キャンパス内の庭園は開学時から実習教育と研究の場として今日まで維持されています。

講演の後は、記念館の前で集合写真を撮った後、学生食堂に場所を移し、白石副会長の司会、村岡会長のあいさつ、田中監事による乾杯の発声で懇親会となりました。

懇親会では、それぞれビール、ワインを飲みながら今日一日の体験談に大いに花を咲かせ、楽しいひと時の後自由解散となりました。

最後に、今回世話人鈴木が大学のOBであることから記念館及び学食などをご厚意で借りられました。大学関係者の方々に深く感謝申し上げます。

ご参加の皆さま、お疲れ様でした。

 

30 3月

第8回 定例総会&新年会

春の訪れを感じさせる3月4日、FANでは第8回定例総会と、ちょっと遅めの新年会を開催しました。

場所は虎ノ門ヒルズカフェ。大きく窓をとった店内に日光が気持ちよく注ぎ込む雰囲気のよいカフェです。

会長の挨拶からはじまり、事務局長からの活動、会計、人事などの報告を経て、乾杯。今回は運営メンバーを含む44名にご参加いただき、いつものように賑やか&穏やかな雰囲気に加え、シンタクラースというお祭りやスフェベニンゲンで行われる恒例行事の元日寒中水泳の様子がビデオで流され、オランダムードを盛り上げます。

会場には、オランダから帰国中の画家でエッセイストの吉屋敬さんの姿もあります。折しも、その頃はオランダでは総選挙を控えていました。極右の自由党(PVV)が勢力を増しており、反移民感情を反映したポピュリズムの台頭が心配されるヨーロッパの今後の動向を計る選挙として注目されていました。吉屋さんは、「オランダは世間が心配するようなことは起こらない」とオランダに長い実感から話され、実際、自由民主国民党(VVD)による続行という結果になりました。このようにオランダの生の声が聴けるのも嬉しいものです。

お互い語らいながら、新しい会員の方、久しぶりにいらっしゃった方などをご紹介させていただいているうちに、アッという間に時間が過ぎていきました。やや詰め込みすぎだったかとちょっと反省しております(汗)。

ラストは大田市場見学でも好評だったじゃんけん大会です。オランダ関連のさまざまな景品と一緒に、これもタイミングよく日本に帰国中だった世話人の水迫がオランダで買い求めた1等賞オランダ詰め合わせセットもあります!

 

オランダ好きな方、仕事でオランダに縁のあった方、またそんな人たちの友人たち。さまざまな背景をもつさまさまな方が、ひとつの空間に集まり、楽しいひとときを共有している。そんな場所を提供できたことを大変嬉しく思います。

これからも、色々なテーマで、誰でも気軽に参加できる会を運営していきたいと思います。枠があるようでなく、かしこまらず、楽しいひとときを皆様と過ごせたらと思っています。

23017年もFANをよろしくお願いします!

 

 

 

23 12月

大田市場の花き部見学・花と園芸の懇親会レポート

大田市場 - 1990年に大田区の臨海地域で業務を開始した東京都の施設です。約40万平方メートルの広大な敷地を有し、隣は野鳥公園、南側には羽田空港が広がっています。

12月3日、麗らかな土曜日に、FANの仲間とその同伴者総勢40名がその大田市場の花き部(*)を訪問しました。こちらの花き部は日本一の規模を誇る花市場です。
(*)花きとは、切り花類、球根類、鉢物類、花壇用苗もの類のこと。

皆さんご存知の通り、オランダには世界最大の花市場、アールスメールがあります。大田市場はそんなアールスメール花市場のシステム・機能を参考にして作られたのです。

会場に到着した私たちを迎えて下さったのは長岡求氏。市場内のオークション会社、(株)フラワーオークションジャパンの役員で、広報室長さんです。『NHK趣味の園芸』の講師として、テレビでも親しまれています。今回は長岡様のご案内で市場を見学させて頂きます。

まずは広大な市場を見渡せる場所から、アルミの台車に乗った膨大な数の花を見ます。オランダの花市場でも、同じようなアルミ台車に乗った花たちが整然と動いていく様子をご覧になったことがあるかもしれません。

こちらは近代的なオークションルーム。この時は鉢植えのシクラメンのセリが行われていました。

この花市場のセリでは、とても特徴的なオランダ式の『機械ゼリ(時計ゼリともいう)』が取り入れられているのです。

従来のセリは、セリ人が場立ちし、手や声によって値段などのやり取りを行い、競り合いによって価格が徐々に上昇し、最高値を示した買参人が購入する仕組みです。それに対して、機械ゼリではスタート価格から徐々に下がっていく電光表示を見ながら、購入希望になった時点で手元のボタンを押し、一番初めに(高値で)ボタンを押した人が購入できる仕組みなのです。その違いにより従来のセリを上げゼリ、機械ゼリを下げゼリと呼びます。

機械ゼリの導入は、セリ人による判断が少なく、高値、安値の判断を電子的に処理することから公平さや公開性に優れ、またコンピュータによる制御によることから、事務処理の迅速化などに優れています。
なんとも合理的なオランダ人らしいセリの方法ではありませんか!
現在では、大田市場の成功により、日本国内で10数社が機械ゼリを導入しているそうです。

 

さて一行は、花がアルミ台車で運ばれて行くのと同じ通路を歩いて、セリ済み、もしくは事前注文により取り寄せられた花が引き取られるのを待っている倉庫に向かいます。床に敷いてあるフロアーチェーンも、アールスメールの市場をお手本にしたものです。

 

倉庫では、引き取りを待つ花たちが美しく咲いています。


長岡様は、花の取引だけでなく、花の品種改良や、世界の秘境植物観察ツアーの案内役をするなど、植物の世界に精通された方。そのご説明に参加者は興味津々です。

現在大田市場で取引されている花の種類は約20,000種、そのうち2,000が新品種である。日本はオランダに比べると品種が多く、入れ替わりのサイクルが早い。新しい品種は10年もすれば消えてしまう。日本人は多様なものを欲しがり、ちょっとした違いで評価が変わる。例えば胡蝶蘭は、花が全て等間隔についており、同じ方向を向いているものに高い値がつくなど、日本独特の評価のされ方についてご説明頂きました。また、オランダの花市場は販売に徹底しているのに対し、日本の花市場は市場が加工、包装、納品まで行うなど、花市場としての機能の違いについても教えて頂きました。

 

倉庫での説明の後は、初めに外から見たオークションルームに入場させて頂き、実際にオークションが行われるデスクに座って長岡様の『オランダと日本の花き市場』についてのレクチャーを受けます。オランダと日本だけではなく、世界の花の流通の潮流や、セリのオンライン化、セリ比率の低下、直接取引の拡大により花市場の未来はどうなっていくのか、という考えさせられるテーマでもありました。

 

講演終了後は、お待ちかねの昼食&懇親会。場所を市場内の会議室に移し、今半の仕出しお弁当、ビール、ワインを囲んでの賑やかな懇親会です。


締めくくりは、今年最後の運試し、じゃんけん大会。特賞の胡蝶蘭を巡って最後まで戦ったのは、佐倉日蘭協会の山岡副会長と、我らがFANの白石副会長の副会長対決!そして・・・


空気を読まない我らが白石副会長がなんと大勝利!!! 特賞の胡蝶蘭をゲットしたのでした。

会の終わりには、(株)フラワーオークションジャパン様のご厚意で頂いた可愛らしいポインセチアを参加者それぞれが一鉢ずつ頂き、みな満ち足りた思いで帰途につきました。

最後になりますが、この度のイベントでは、長岡様はじめ(株)フラワーオークションジャパン様に会場設営等のご準備からご説明等、一から十まで本当にお世話になりました。皆さまのご協力なくしては、このような素晴らしいイベントを行うことは到底できませんでした。FAN一同心より感謝申し上げます。ありがとうございました。今後ともこのご縁を大切にさせて頂けたらと思います。

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今年も残りあとわずか。FANも無事に今年を終えることができそうです。イベントを和やかに終えられるのも、参加する皆さんの笑顔があってこそ。来年もオランダにちなむイベントを企画しますので、ぜひご参加ください。
よいクリスマス&よいお年をお迎えください!

24 11月

日蘭平和交流事業レセプション出席

例年の行事として外務省から案内を受けて、日蘭平和交流事業に参加いたしました。

11月16日(水)19時から、シェラトン都ホテルにおいて開催され、FANからは会長村岡、副会長白石、世話人勝野が出席しました。この日事務局長寺町は風邪のために欠席で、FANとしてもいささか頼りない感を持ちながら、オランダ人戦争犠牲者18名の方と交流してきました。

18名の方は11月10日から17日の日程で、福岡、長崎、東京都内で各種の交流事業に参加される予定で来日されました。福岡では水巻の元捕虜収容所見学、長崎では出島見学と平和公園近辺の元捕虜収容所見学に分かれての行動だったようです。

案内に当たられた業者の通訳の方から例年に比べ今年は皆様大変朗らかな感じがしたと伺いました。年月と共に少しはわだかまりも溶解して、友好的な感情で訪日して下さったのかと、こちらも緊張がほぐれる思いで幾人か戦争犠牲者の方々相手にお話ができました。

でも、胸の底に押さえ込んだ記憶と感情は、時間が経っても消え去るものではないと、この事業のオランダ側まとめ役であるタンゲナさん(オランダ人と結婚された日本人女性)がおっしゃっておられました。旅の途中の何かの折に、記憶がまざまざと立ち上り、涙ながらに経験を語った人、心の底に抱えたマグマが噴出してくる衝動を抑えきれない人などの姿をお聞きするに及び、生きている限り消えない傷跡を持って人生を全うしなければならない人々が世界中にまだまだいらっしゃる現実に直面した思いでした。

この方々は殆どがインドネシアの日本統治時代に戦争被害に遭われた人です。2才や3才の頃両親が日本軍の捕虜となって、色々な悲惨な経験の後にオランダに帰国したということでした。

戦争は絶対にしてはいけない、この鉄則こそが後の時代に生きる我々に突きつけられた命題です。犠牲者の方々の日本への思いを和らげていただきたいと同時にこうした交流事業を通じて、戦争の悪をお互いが認識するという機会になることが大切だと思いました。

幸い今回も中央大学の学生が例年よりも多く参加され、若い人達がこの現実をしっかり受け止めて、未来の日本を作る原動力の一つにしていただきたいと切に願いました。

佐倉日蘭協会の中島さん、山岡さんが音頭をとってオランダ人、日本人が入り乱れオランダの歌や日本の歌を歌い盛り上がりました。中央大学の学生全員が我々のよびかけで壇上に上がってくれました。その素直さにまたオバさんは感激したという次第でした。

まだまだオランダには日本に行きたい、この交流事業に参加したいと思っておられる方が大勢おられ、順番待ちだそうです。外務省に今後も続けていただくことをタンゲナさんは要望したようです。非力ながらFANとしても出来る限りの協力をしていきたいと思っております。

05 9月

「よみがえれ!シーボルトの日本博物館展」

お盆の入りの8月13日(土)、千葉県佐倉市の「国立歴史民俗博物館」(歴博)で開催中の特別展「よみがえれ!シーボルトの日本博物館展」を各自見学(第1部)、午後は、歴博教授の日高薫先生の講演を聴講(第2部)、引き続き京成佐倉駅前の居酒屋に席を移し、賑やかに懇親会を開きました。

今回は、懇親会場の都合等の事情から、参加者人数を15名に絞らざるを得ず、折角の参加ご希望をお断りさせていただいた方々には、大変申し訳なく思っております。

また、入場券の手配・懇親会場のセッティング等に関して、歴博および佐倉日蘭協会に大変お世話になりましたこと、心より御礼申し上げます。

第1部は、今回の「よみがえれ!シーボルトの日本博物館展」の展示企画代表者・日高教授の「ギャラリートーク」に参加し、更に展示を見学しました。

今回の特別展は、シーボルト没後150年を記念して開催されました。フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796~1866)の日本に関する収集品(シーボルト・コレクション*¹)については、最初の来日時(1823~29)、例の「シーボルト事件」(ご禁制の日本地図の持ち出し)のため追放され帰国した後、オランダ政府が買い上げ、現在ライデンの「国立民族学博物館」に展示されているもののほか、追放から約30年後に再来日した際に(1859~62)持ち帰った収集品は、主として、シーボルトの出身地ドイツの「ミュンヘン五大陸博物館」(旧バイエルン国立民族学博物館)やシーボルトの末裔家「ブランデンシュタイン城」(ドイツ中部ヘッセン州)に所蔵されています。

ミュンヘンのシーボルト・コレクションは、実に6,000点に及びますが、必ずしも十分には整理されていないものを、歴博が独自に9カ年かけて調査し、今回その中から約300点を精選して、「日本博物館」と云う形で、歴博内に復元したものです。

第2部は、日高教授の「シーボルト・コレクションにおける漆工芸」と題した講演です。
講演の主な内容は、歴博が行ったドイツ・オランダにおける調査研究の成果をもとに、コレクションに含まれる多彩な漆工品の実例を紹介しながら、シーボルト自身が書き残した記述や長男アレクサンダー(1846~1911)によってまとめられたコレクション・リスト(「ミュンヘン五大陸博物館」)等の資料を手掛かりに、シーボルトが、どのような意識でそれらを収集したのか、そして、どのように「日本博物館」に位置付けようとしたのかを考察したものです。

日高教授の大変興味深い講演内容の概略を、第1部の「ギャラリートーク」と併せてご紹介すると、おおよそ以下の通り。

  • シーボルトは、西洋世界に向けての日本紹介を、「日本植物誌」等の著書の出版のみならず、自らの収集品の博物館展示を通じて行おうとしていた。
  • 何回かのコレクションの展示は、本格的な日本紹介とともに、民族学博物館の嚆矢でもあった。
  • 「シーボルト・コレクション」の中で、漆工芸品が占める数量的割合は極めて多く(特に2回目の来日時の収集品)、シーボルトが、漆器の収集にとりわけ熱心に取り組んだことは明らか。
  • シーボルトは、「漆工芸が、日本ほど高い完成度に到達した国は世界にない」と書き残している。
  • 日本国内の協力者への配慮・新旧の漆工芸品の分類の困難性等の事情もあり、蒔絵や螺鈿で豪華に装飾された高級品から、中級品、日常品・土産物等廉価な漆器に至るまで、幅広い品質の漆工品が収集されている。
  • 有力者からの贈答品や競売等で買い求めたものもあり、地方産・琉球・中国の漆器も含まれている。
  • シーボルトの日本に関するコレクション展示(「日本博物館」)は、「コレクションを体系的に整理するのは困難なので、そのものの使い方に従って考察し、一部工芸的価値を強調し、技術的細工を説明する」方針でされている。
  • 今回の歴博展示は、上記の趣旨に沿って、「日本博物館」を復元しようとしたものである。

以上かなり専門的なお話しでしたが、260人収容の会場一杯の聴衆みな大満足した講演会でした。

講演後は、京成佐倉駅前の居酒屋「庄や」に移動して、賑やかに懇親会が開かれました。一日中お忙しかった日高教授には、ここにもご参加いただいた上、伝統ある漆工芸・芝山細工の女流職人松本香さんも加わって(松本さんは、過日、FANの友好団体の一つ「江戸連」で「江戸の工芸・芝山細工の盛衰について」と云う講演をされました。)、幅広い話題で大いに盛り上がりました。

こうして筆者が家に帰り着いたのは夜の9時を過ぎていて、本当に充実した一日でした。

(村岡洋二)

 

*1 : 欧州各地に広く収蔵されている所謂「シーボルト・コレクション」は、数万点に上ると言われていますが、実はその半数は、シーボルトの子供たち、特に次男のハインリッヒ(1852~1907)が、オーストリア・ハンガリー帝国の通訳・外交官等として日本滞在中に、父の遺志を継いで、精力的に収集したものだそうです。


【日高薫教授のプロフィール】
1985年、東京大学文学部卒業、杉野女子大学講師、東京大学文学部美術史研究室、共立女子大学国際文学部、日本文化研究助手を経て、1994年、国立歴史民俗博物館に勤務。2008年、文学博士(東京大学)。現在、国立歴史民俗博物館研究部情報資料研究系教授
主な研究テーマは、蒔絵を中心とする漆工芸史、日本の装飾芸術の特質及び交易品としての漆器をめぐる文化交流。
主な著書に『異国の表象―近世輸出漆器の創造力』(2008年ブリュッケ刊)、『日本美術のことば案内』(2002年小学館刊)がある。

 

13 6月

佐倉の草ぶえの丘バラ園&歴史探訪

5月29日、FANは佐倉日蘭協会のご協力のもと、バラ園ピクニックと佐倉に残るオランダの歴史を探訪するイベントを開催しました。

京成線佐倉駅からバスで20分のところに、佐倉草ぶえの丘という公園があります。ミニ鉄道や動物園、農業体験などもできる宿泊施設を兼ね備えた広大な公園です。今回のイベントは、園内にあるバラ園で盛りのバラを見るのが目的です。

バラ園は10年前に開園され、3200坪の土地に1050種類、2500株バラを栽培しています。園内には手作りのアーチやゲート、様々な構築物がバラで飾られ、昨年には世界バラ会連合から優秀庭園賞を受賞したそうです。

運営はNPOバラ文化研究所というボランティアによってなされ、開園以来、一貫してヘリテージローズ(原種・オールドローズ) の収集・保存及びバラ文化の啓蒙、普及を目的として活動されています。

FANの世話人のひとり、鈴木氏は根っからの植物好きで、その情熱、知識にはいつも驚かされるばかり。そんな鈴木氏の解説付きで最盛期を迎えるバラを観賞し、オランダに縁の深い佐倉で、佐倉日蘭協会の方々と交流する。一石二鳥のイベントです!

余談ですが、我々が日ごろバラをイメージするのはモダンローズと言われるもので、ヨーロッパを中心に人気があります。モダンローズが作出されたのは1867年以降で、モダンローズの特長である四季咲きのバラは、中国の「コウシンバラ」がもとになっています。またこれ程までにバラが広く世界に認知されたのは、ナポレオンの妻ジョセフィーヌ(1763年~1814年)の影響が大きいと、鈴木氏。彼女が愛培したバラは、まだモダンローズのできる前で、オールドローズでした。珍しい品種を採取し、その記録を画家 ピエール・ルドゥーテ(Pierre-Joseph Redoute)に描かせました。その「バラ図譜」は今もって高い評価を得ています。これは当時のバラ169品種の絵が描かれ、現在でもルドゥーテは、ボタニカル・アート(植物画)の天才画家として尊敬されているそうです。

ヨーロッパを上回るバラ好きはどうも日本のようです。日本も中国に並ぶ原種の宝庫だそうで、ミスターローズと世界に呼ばせたバラの育種家、鈴木省三(せいぞう)氏コレクションの遺産がこのバラ園に保存されています。彼は生涯128種のバラを作出し、幻の青いバラの研究にも取り組みました。死後にその技術を継承した弟子によって不可能といわれた世界初の青いバラを誕生させることができました。

参加者全員が無事、草ぶえの丘に到着。観賞する前に、鈴木氏の詳細な解説でバラの知識を得て、にわか専門家になって気のむくままに園内を散策しました。

今までのバラのイメージを覆すようなバラの数々。何の花だろうと思っていたものがバラの一種だったと知ったりもしました。

園内のあちらこちらで感嘆の声が聞こえてきます。

バラ園散策後、バーベキュー広場で、佐倉日蘭協会の皆様が用意下さったシートを懇親会会場として、乾杯! 程よい木陰に設定されたシートにFAN、佐倉日蘭協会のメンバーが入り混じって円陣を組み座りました。もう年のことなど言ってはおられません。花も棘も経験した熟成の大輪と咲き誇るバラ人達が、草原にお弁当を広げビール、ワイン、焼酎を飲みながら、バラ談義、人生談義に花を咲かせます。あっと言う間に時間が過ぎて、宴もたけなわになった頃、参加者の自己紹介が始まり、笑いと親近感に包まれました。

青空懇親会の後は、希望者による日蘭歴史探訪。佐倉高等学校記念館、同順天堂記念館を佐倉日蘭協会副会長の山岡様のご案内と説明で詳しく見物することができました。

佐倉高等学校は現在長島茂雄氏の母校として有名ですが、実は元佐倉藩主堀田正順(まさあり)が創設した藩校なのです。明治になって完成した洋風木造の二階建は、いかにも明治の学舎の雰囲気を保っています。新制高校としても使用されていたそうで、資料室には佐倉藩が藩校「成徳書院」における教育と研究のために収集した古書群籍の一部が展示されています。昭和44年に整理・目録化され鹿山文庫と呼ばれるようになりました。

『ハルマ和解』、『ドゥーフ・ハルマ』『ホッタイン博物誌』『和蘭字彙』『ウェイランド和蘭辞書』などの蘭学に関わる貴重な古書を蔵し、よく保存、管理されています。そのご苦労を垣間見る思いでした。

まさしく西洋の学問はオランダ語によって道が開かれていったという証です。FANとしても感慨深い見学となりました。

これほどの天気に恵まれるとは予想しなかった為に、参加者は汗をかきかき徒歩で佐倉順天堂記念館に向かいました。

今や順天堂と言えば名だたる医科大学であり、病院であることは誰もが認めるところですが、この病院が佐倉から生まれたことを知る人はさほど多くはないでしょう。

天保14年(1843)に蘭医佐藤泰然が蘭医塾兼外科の診療所を創設しました。彼が「順天堂」という堂号を用いたのです。これは中国の占いに使われる言葉で「天道に従う」つまり人には寿命があり、病も自然の理に従い治癒を試みるという意味だそうです。

実際にどのような治療が行われたかは、「療治定」という治療別の料金表の一覧が額になって掲げられています。庶民にはかなり高額です。例えば刀傷1寸(約3センチ)につき、金百疋(1両を仮に10万円とすると6万円位になる)で傷の長さによって料金も変化したようです。また、今でいう白内障や乳癌手術、帝王切開なども行われていました。最先端の医療は高額なものであることは昔も今も変わらないということでしょうか。

明治以降も病院として使われていたそうで、広大な敷地の中に診療所や入院病棟など施設も充実しています。診療室などは今の病院よりはるかにゆったりとして、当時の医者の権威を感じさせます。

佐倉は医学界に人材を多数輩出してきました。中でも泰然の次男に松本良順がいます。彼は長崎の医学伝習所でオランダ人医師のポンペに師事し、片腕となって長崎養成所で働きました。西洋医学を積極的に取り入れ、幕府の医学所頭取となり、明治以降は初代陸軍軍医総監を歴任したのです。有名な話として牛乳の飲用を勧め、海水浴の効能を説き、大磯に海水浴場を開設することに尽力しました。オランダとの関係で忘れてはならない一人といえます。

佐倉にはまだまだ見るべき歴史的遺産があります。時間の関係で今回は残念ながら全て廻ることは出来ませんでしたが、次回にはまた違った佐倉に出会えることを期待したいと思います。

佐倉日蘭協会の皆様には多大なご親切、ご配慮をいただき感謝に絶えません。ありがとうございました。オランダというキーワードで結ばれたご縁を大切に今後ともお付き合いをよろしくお願いいたします。

 

(撮影:中島洋一郎、佐倉日蘭協会)

 

24 2月

江戸連でオランダ番組鑑賞しました

FANとも親交の深いNPO団体「江戸連」から、2月20日、オランダ関連のドキュメンタリー番組の視聴を開催するので、いらっしゃいませんかとお誘いがありました。視聴だけではなく、長崎放送の元社長の島崎春彦氏の講演もあるとのこと。オランダ関連ですし、島崎氏はFANの会員でもあるし、これは行かねば。

ドキュメンタリー番組は長崎文化放送開局10周年の記念として2000年に制作された『サムライが笑った! 長崎・出島オペレッタ』です。

時は文政の1820年10月、長崎の出島に駐在する商館員らが、長崎奉行などを前にオペレッタ(歌劇)を公演しました。『二人の猟師とミルク売り娘』という喜劇で、まげと刀の侍たちが大いに笑ったという記録が残っています。また、劇の模様を長崎の画家の川原慶賀が描いています。

出典:Gemeente Amsterdam Stadsarchief
 http://beeldbank.amsterdam.nl/beeldbank/weergave/record/layout/result?id=010097011133

その歌劇を蘇らせるべく、脚本家、劇作家の故市川森一氏がオランダに乗り込み、女優の岸本加代子も後追ってオランダ入りします。番組は市川氏のオーディション立ちあい光景など徐々にオペレッタが出来上がっていく様と同時に、岸本氏と一緒に資料を閲覧する場面や、岸本氏によるアムステルダムの紹介、当時の商館長ヤン・コック・ブロムホフの子孫を訪ねるシーンなど、昔と今を交錯させながら日本(長崎)とオランダとのつながりを映しだしていて、大変見応えがありました。
オランダの資料館が、現在、オークションなどで、数百万円で売買されている川原慶賀の絵を、何と250円程度で入手していたと聞いて言葉を失う市川氏、オランダのゲイの人達とお酒を楽しくかたむける岸本氏と市川氏の模様などユーモアもたっぷりでした。

上演の前後で、島崎氏の説明、Q&Aコーナーもあり、制作の裏話など興味深いものでした。Q&Aコーナーでは、知的好奇心の高い江戸連のみなさんから次々と質問がありました。「サムライはどのシーンで笑ったのか?」には、なんせ約200年前のこと、島崎さんも冷や汗をかいたのではないでしょうか。

FAN事務局長の寺町は、劇が上演されたマーストリヒトに駐在していただけあって、「クマはオランダにいるのか?」の質問に対し、「マーストリヒトにはクマの像がある公園がありますよ!」と即答しておりました。

出典:http://www.youropi.com/nl/maastricht/locations/aldenhofpark-370

大変おもしろい番組を観られただけではなく、こうやって他団体とも親交を深めることができるのは、FANとしても嬉しい限りです。江戸連の皆様、ありがとうございました!

江戸連ウェブサイト:http://www.edoren.jp/

03 2月

第7回定例総会&新年会

2016年1月30日、FANでは、第7回定例総会&新年会を開催しました。

その週末は大雪に見舞われるという天気予報がでていたので、心配していましたが、日ごろの行いがよいのか(笑)、幸い雪も雨も降らず、33名もの皆様にご参加いただけました。

定例総会では、昨年度の活動報告、会計報告、今年度の活動予定などをお知らせし、皆様のご承認をいただけました。まだまだ微力ながらも、何回かイベントを開催し、このように7回目の総会を開くことができたのも、皆さんの支えがあってこそです。新しくお会いする方、いつもご参加いただいている方とお話して、友好の輪が広がっていく。場を作っても、そこに集まる方がいなければ成り立たないことです。改めて感謝申し上げます。

総会の後は、花伝亭長太楼さんによる落語を楽しみました。演目は古典落語の「親子酒」「火焔太鼓」です。花伝亭長太楼さんは、元商社マン。定年退職後、何か新しいものに挑戦しようと、昔から興味のあった落語を始めることにしたそうです。スクールで2年間落語を学び、現在も桂小文治師匠に直々に手ほどきを受けていらっしゃいます。今年で9年目、今回で137回目だそうです。長太楼さんの身ぶり、手ぶりを前に、江戸時代の酔っぱらった父と子のダメダメぶり、お人よしお父さんとしっかりもののお母さんの掛け合いが目に浮かんでくるようでした。話芸は、落語者を介在に昔と今をつなぐのだと改めて思いました。

新年会は、FANの顧問、小澤さんの乾杯でスタート。それぞれのテーブルで話に花が咲き、参加者有志からの活動PR、はじめてご参加いただいた方からの挨拶などをいただくうちに、あっという間に予定時間となりました。

今年も皆さんと交流を深める楽しいイベントを開催しますので、よろしくお願い致します。すでに2月になってしまいましたが、2016年が皆さんにとって飛躍の年になりますよう。

 

 

 

 

 

 

24 12月

2015年忘年会

12月13日にFANの忘年会を行いました。

今年最後の集まりということもあって、オランダ関連のレクチャーを中心に、バイオリン演奏、景品付きクイズも用意。ちょっと気合いが入っています(笑)。

レクチャーの講師は、松下文洋さん。不動産鑑定、土地評価、コンサルティングの会社を経営される一方で、クラシックヨットを所有し、ルアー作りの達人でもあります。また、『道路の経済学』という新書も上梓されています。

今回のテーマは、「オランダのヴォンネルフ(我々の庭)運動」です。ヴォンネルフ運動は、50年前からスタートした「人と車の融合」を目指したもので、今では世界でも最も優れた交通政策として高い評価を得て、英国をはじめEU各国でも採用されています。世界に絶賛される「ダッチ・ヴォンネルフ」を、運動のリーダーであるモンダーマン氏や、実施した町の副市長とのインタビュー等を交えながら、なぜヴォンネルフ運動が優れているかを、検証していただきました。

道路をトラフィックゾーンとソーシャルゾーンに分ける発想、道路の美観という着目点、信号機のいらないランナバウト交差点(環状交差点)、車と自転車を分離するなど画期的なヴォンネルフ。実際にヴォンネルフを導入した市は、交通死亡事故が激減したそうです。

なかでも印象的だったのが、都市をどう捉えるかというお話でした。ショッピングセンターなどが建ち、経済成長を謳歌しモノが豊かに揃う場所と捉えるか、美観や道路・公園・境界を一体にするなど車以外のインフラにも目を配り、ヒトが賑やかに集う場所として捉えるか。松下さんは日本の都市は残念ながらモノフォーカスの街づくりになっていると指摘。日本橋近辺もその土地がもつ豊かな文化を感じさせる場所なのですが、日本橋の上は景観を損なう高速道路。オランダとは文化的背景や地勢も異なるので一概に比べることはできませんが、ざわめきや活気や空気、出会いを求めて街に出かけるのは、どこに住んでも一緒です。改めて街に関して考えさせられる興味深いレクチャーでした。

レクチャーの後は、FAN会員の掛橋佑水さんによるバイオリン演奏がありました。掛橋さんは桐朋学園卒業後、オーストリア・ハンガリア留学。近年は、かの天満敦子さんとも共演するなど、国内外で演奏活動中の新進バイオリニストです。2曲ご演奏いただいた後、急きょアンコールにも応えていただき、美しい演奏を聴かせていただきました。

 

しばらく懇親いただいた後は、オランダクイズwith景品。思いのほか(!)正解率が高く、正解の方への景品が足りなくなるのではと、冷や汗をかきました。

2015年、FANは様々な活動を通じて、新たな方との出会いあり、すでに会員の方とはますます交流を深める充実した一年をおくることができました。これも、FANの会員の皆様のおかげです。今年は本当にお世話になりました。改めて御礼申し上げます。

来年もオランダをキーワードに、機会をつかまえて今年以上に活動していきたいと思っております。ご期待いただければと思います。

2016年のFANの活動は、1月30日の新年会からスタートします。新年にふさわしい出し物も用意しております。会員の方、ぜひご予定ください。まだ会員ではないけれど興味をもたれた方は、このサイトからお問い合わせください。皆様にお会いできることを楽しみにしております!

では、どうか、よいお年をお迎えください。
Gelukkig nieuwjaar!

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