13 6月

佐倉の草ぶえの丘バラ園&歴史探訪

5月29日、FANは佐倉日蘭協会のご協力のもと、バラ園ピクニックと佐倉に残るオランダの歴史を探訪するイベントを開催しました。

京成線佐倉駅からバスで20分のところに、佐倉草ぶえの丘という公園があります。ミニ鉄道や動物園、農業体験などもできる宿泊施設を兼ね備えた広大な公園です。今回のイベントは、園内にあるバラ園で盛りのバラを見るのが目的です。

バラ園は10年前に開園され、3200坪の土地に1050種類、2500株バラを栽培しています。園内には手作りのアーチやゲート、様々な構築物がバラで飾られ、昨年には世界バラ会連合から優秀庭園賞を受賞したそうです。

運営はNPOバラ文化研究所というボランティアによってなされ、開園以来、一貫してヘリテージローズ(原種・オールドローズ) の収集・保存及びバラ文化の啓蒙、普及を目的として活動されています。

FANの世話人のひとり、鈴木氏は根っからの植物好きで、その情熱、知識にはいつも驚かされるばかり。そんな鈴木氏の解説付きで最盛期を迎えるバラを観賞し、オランダに縁の深い佐倉で、佐倉日蘭協会の方々と交流する。一石二鳥のイベントです!

余談ですが、我々が日ごろバラをイメージするのはモダンローズと言われるもので、ヨーロッパを中心に人気があります。モダンローズが作出されたのは1867年以降で、モダンローズの特長である四季咲きのバラは、中国の「コウシンバラ」がもとになっています。またこれ程までにバラが広く世界に認知されたのは、ナポレオンの妻ジョセフィーヌ(1763年~1814年)の影響が大きいと、鈴木氏。彼女が愛培したバラは、まだモダンローズのできる前で、オールドローズでした。珍しい品種を採取し、その記録を画家 ピエール・ルドゥーテ(Pierre-Joseph Redoute)に描かせました。その「バラ図譜」は今もって高い評価を得ています。これは当時のバラ169品種の絵が描かれ、現在でもルドゥーテは、ボタニカル・アート(植物画)の天才画家として尊敬されているそうです。

ヨーロッパを上回るバラ好きはどうも日本のようです。日本も中国に並ぶ原種の宝庫だそうで、ミスターローズと世界に呼ばせたバラの育種家、鈴木省三(せいぞう)氏コレクションの遺産がこのバラ園に保存されています。彼は生涯128種のバラを作出し、幻の青いバラの研究にも取り組みました。死後にその技術を継承した弟子によって不可能といわれた世界初の青いバラを誕生させることができました。

参加者全員が無事、草ぶえの丘に到着。観賞する前に、鈴木氏の詳細な解説でバラの知識を得て、にわか専門家になって気のむくままに園内を散策しました。

今までのバラのイメージを覆すようなバラの数々。何の花だろうと思っていたものがバラの一種だったと知ったりもしました。

園内のあちらこちらで感嘆の声が聞こえてきます。

バラ園散策後、バーベキュー広場で、佐倉日蘭協会の皆様が用意下さったシートを懇親会会場として、乾杯! 程よい木陰に設定されたシートにFAN、佐倉日蘭協会のメンバーが入り混じって円陣を組み座りました。もう年のことなど言ってはおられません。花も棘も経験した熟成の大輪と咲き誇るバラ人達が、草原にお弁当を広げビール、ワイン、焼酎を飲みながら、バラ談義、人生談義に花を咲かせます。あっと言う間に時間が過ぎて、宴もたけなわになった頃、参加者の自己紹介が始まり、笑いと親近感に包まれました。

青空懇親会の後は、希望者による日蘭歴史探訪。佐倉高等学校記念館、同順天堂記念館を佐倉日蘭協会副会長の山岡様のご案内と説明で詳しく見物することができました。

佐倉高等学校は現在長島茂雄氏の母校として有名ですが、実は元佐倉藩主堀田正順(まさあり)が創設した藩校なのです。明治になって完成した洋風木造の二階建は、いかにも明治の学舎の雰囲気を保っています。新制高校としても使用されていたそうで、資料室には佐倉藩が藩校「成徳書院」における教育と研究のために収集した古書群籍の一部が展示されています。昭和44年に整理・目録化され鹿山文庫と呼ばれるようになりました。

『ハルマ和解』、『ドゥーフ・ハルマ』『ホッタイン博物誌』『和蘭字彙』『ウェイランド和蘭辞書』などの蘭学に関わる貴重な古書を蔵し、よく保存、管理されています。そのご苦労を垣間見る思いでした。

まさしく西洋の学問はオランダ語によって道が開かれていったという証です。FANとしても感慨深い見学となりました。

これほどの天気に恵まれるとは予想しなかった為に、参加者は汗をかきかき徒歩で佐倉順天堂記念館に向かいました。

今や順天堂と言えば名だたる医科大学であり、病院であることは誰もが認めるところですが、この病院が佐倉から生まれたことを知る人はさほど多くはないでしょう。

天保14年(1843)に蘭医佐藤泰然が蘭医塾兼外科の診療所を創設しました。彼が「順天堂」という堂号を用いたのです。これは中国の占いに使われる言葉で「天道に従う」つまり人には寿命があり、病も自然の理に従い治癒を試みるという意味だそうです。

実際にどのような治療が行われたかは、「療治定」という治療別の料金表の一覧が額になって掲げられています。庶民にはかなり高額です。例えば刀傷1寸(約3センチ)につき、金百疋(1両を仮に10万円とすると6万円位になる)で傷の長さによって料金も変化したようです。また、今でいう白内障や乳癌手術、帝王切開なども行われていました。最先端の医療は高額なものであることは昔も今も変わらないということでしょうか。

明治以降も病院として使われていたそうで、広大な敷地の中に診療所や入院病棟など施設も充実しています。診療室などは今の病院よりはるかにゆったりとして、当時の医者の権威を感じさせます。

佐倉は医学界に人材を多数輩出してきました。中でも泰然の次男に松本良順がいます。彼は長崎の医学伝習所でオランダ人医師のポンペに師事し、片腕となって長崎養成所で働きました。西洋医学を積極的に取り入れ、幕府の医学所頭取となり、明治以降は初代陸軍軍医総監を歴任したのです。有名な話として牛乳の飲用を勧め、海水浴の効能を説き、大磯に海水浴場を開設することに尽力しました。オランダとの関係で忘れてはならない一人といえます。

佐倉にはまだまだ見るべき歴史的遺産があります。時間の関係で今回は残念ながら全て廻ることは出来ませんでしたが、次回にはまた違った佐倉に出会えることを期待したいと思います。

佐倉日蘭協会の皆様には多大なご親切、ご配慮をいただき感謝に絶えません。ありがとうございました。オランダというキーワードで結ばれたご縁を大切に今後ともお付き合いをよろしくお願いいたします。

 

(撮影:中島洋一郎、佐倉日蘭協会)

 

24 2月

江戸連でオランダ番組鑑賞しました

FANとも親交の深いNPO団体「江戸連」から、2月20日、オランダ関連のドキュメンタリー番組の視聴を開催するので、いらっしゃいませんかとお誘いがありました。視聴だけではなく、長崎放送の元社長の島崎春彦氏の講演もあるとのこと。オランダ関連ですし、島崎氏はFANの会員でもあるし、これは行かねば。

ドキュメンタリー番組は長崎文化放送開局10周年の記念として2000年に制作された『サムライが笑った! 長崎・出島オペレッタ』です。

時は文政の1820年10月、長崎の出島に駐在する商館員らが、長崎奉行などを前にオペレッタ(歌劇)を公演しました。『二人の猟師とミルク売り娘』という喜劇で、まげと刀の侍たちが大いに笑ったという記録が残っています。また、劇の模様を長崎の画家の川原慶賀が描いています。

出典:Gemeente Amsterdam Stadsarchief
 http://beeldbank.amsterdam.nl/beeldbank/weergave/record/layout/result?id=010097011133

その歌劇を蘇らせるべく、脚本家、劇作家の故市川森一氏がオランダに乗り込み、女優の岸本加代子も後追ってオランダ入りします。番組は市川氏のオーディション立ちあい光景など徐々にオペレッタが出来上がっていく様と同時に、岸本氏と一緒に資料を閲覧する場面や、岸本氏によるアムステルダムの紹介、当時の商館長ヤン・コック・ブロムホフの子孫を訪ねるシーンなど、昔と今を交錯させながら日本(長崎)とオランダとのつながりを映しだしていて、大変見応えがありました。
オランダの資料館が、現在、オークションなどで、数百万円で売買されている川原慶賀の絵を、何と250円程度で入手していたと聞いて言葉を失う市川氏、オランダのゲイの人達とお酒を楽しくかたむける岸本氏と市川氏の模様などユーモアもたっぷりでした。

上演の前後で、島崎氏の説明、Q&Aコーナーもあり、制作の裏話など興味深いものでした。Q&Aコーナーでは、知的好奇心の高い江戸連のみなさんから次々と質問がありました。「サムライはどのシーンで笑ったのか?」には、なんせ約200年前のこと、島崎さんも冷や汗をかいたのではないでしょうか。

FAN事務局長の寺町は、劇が上演されたマーストリヒトに駐在していただけあって、「クマはオランダにいるのか?」の質問に対し、「マーストリヒトにはクマの像がある公園がありますよ!」と即答しておりました。

出典:http://www.youropi.com/nl/maastricht/locations/aldenhofpark-370

大変おもしろい番組を観られただけではなく、こうやって他団体とも親交を深めることができるのは、FANとしても嬉しい限りです。江戸連の皆様、ありがとうございました!

江戸連ウェブサイト:http://www.edoren.jp/

03 2月

第7回定例総会&新年会

2016年1月30日、FANでは、第7回定例総会&新年会を開催しました。

その週末は大雪に見舞われるという天気予報がでていたので、心配していましたが、日ごろの行いがよいのか(笑)、幸い雪も雨も降らず、33名もの皆様にご参加いただけました。

定例総会では、昨年度の活動報告、会計報告、今年度の活動予定などをお知らせし、皆様のご承認をいただけました。まだまだ微力ながらも、何回かイベントを開催し、このように7回目の総会を開くことができたのも、皆さんの支えがあってこそです。新しくお会いする方、いつもご参加いただいている方とお話して、友好の輪が広がっていく。場を作っても、そこに集まる方がいなければ成り立たないことです。改めて感謝申し上げます。

総会の後は、花伝亭長太楼さんによる落語を楽しみました。演目は古典落語の「親子酒」「火焔太鼓」です。花伝亭長太楼さんは、元商社マン。定年退職後、何か新しいものに挑戦しようと、昔から興味のあった落語を始めることにしたそうです。スクールで2年間落語を学び、現在も桂小文治師匠に直々に手ほどきを受けていらっしゃいます。今年で9年目、今回で137回目だそうです。長太楼さんの身ぶり、手ぶりを前に、江戸時代の酔っぱらった父と子のダメダメぶり、お人よしお父さんとしっかりもののお母さんの掛け合いが目に浮かんでくるようでした。話芸は、落語者を介在に昔と今をつなぐのだと改めて思いました。

新年会は、FANの顧問、小澤さんの乾杯でスタート。それぞれのテーブルで話に花が咲き、参加者有志からの活動PR、はじめてご参加いただいた方からの挨拶などをいただくうちに、あっという間に予定時間となりました。

今年も皆さんと交流を深める楽しいイベントを開催しますので、よろしくお願い致します。すでに2月になってしまいましたが、2016年が皆さんにとって飛躍の年になりますよう。

 

 

 

 

 

 

24 12月

2015年忘年会

12月13日にFANの忘年会を行いました。

今年最後の集まりということもあって、オランダ関連のレクチャーを中心に、バイオリン演奏、景品付きクイズも用意。ちょっと気合いが入っています(笑)。

レクチャーの講師は、松下文洋さん。不動産鑑定、土地評価、コンサルティングの会社を経営される一方で、クラシックヨットを所有し、ルアー作りの達人でもあります。また、『道路の経済学』という新書も上梓されています。

今回のテーマは、「オランダのヴォンネルフ(我々の庭)運動」です。ヴォンネルフ運動は、50年前からスタートした「人と車の融合」を目指したもので、今では世界でも最も優れた交通政策として高い評価を得て、英国をはじめEU各国でも採用されています。世界に絶賛される「ダッチ・ヴォンネルフ」を、運動のリーダーであるモンダーマン氏や、実施した町の副市長とのインタビュー等を交えながら、なぜヴォンネルフ運動が優れているかを、検証していただきました。

道路をトラフィックゾーンとソーシャルゾーンに分ける発想、道路の美観という着目点、信号機のいらないランナバウト交差点(環状交差点)、車と自転車を分離するなど画期的なヴォンネルフ。実際にヴォンネルフを導入した市は、交通死亡事故が激減したそうです。

なかでも印象的だったのが、都市をどう捉えるかというお話でした。ショッピングセンターなどが建ち、経済成長を謳歌しモノが豊かに揃う場所と捉えるか、美観や道路・公園・境界を一体にするなど車以外のインフラにも目を配り、ヒトが賑やかに集う場所として捉えるか。松下さんは日本の都市は残念ながらモノフォーカスの街づくりになっていると指摘。日本橋近辺もその土地がもつ豊かな文化を感じさせる場所なのですが、日本橋の上は景観を損なう高速道路。オランダとは文化的背景や地勢も異なるので一概に比べることはできませんが、ざわめきや活気や空気、出会いを求めて街に出かけるのは、どこに住んでも一緒です。改めて街に関して考えさせられる興味深いレクチャーでした。

レクチャーの後は、FAN会員の掛橋佑水さんによるバイオリン演奏がありました。掛橋さんは桐朋学園卒業後、オーストリア・ハンガリア留学。近年は、かの天満敦子さんとも共演するなど、国内外で演奏活動中の新進バイオリニストです。2曲ご演奏いただいた後、急きょアンコールにも応えていただき、美しい演奏を聴かせていただきました。

 

しばらく懇親いただいた後は、オランダクイズwith景品。思いのほか(!)正解率が高く、正解の方への景品が足りなくなるのではと、冷や汗をかきました。

2015年、FANは様々な活動を通じて、新たな方との出会いあり、すでに会員の方とはますます交流を深める充実した一年をおくることができました。これも、FANの会員の皆様のおかげです。今年は本当にお世話になりました。改めて御礼申し上げます。

来年もオランダをキーワードに、機会をつかまえて今年以上に活動していきたいと思っております。ご期待いただければと思います。

2016年のFANの活動は、1月30日の新年会からスタートします。新年にふさわしい出し物も用意しております。会員の方、ぜひご予定ください。まだ会員ではないけれど興味をもたれた方は、このサイトからお問い合わせください。皆様にお会いできることを楽しみにしております!

では、どうか、よいお年をお迎えください。
Gelukkig nieuwjaar!

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17 12月

日蘭平和交流事業

12月3日、外務省主催の『日蘭平和交流事業』が開かれました。

この事業は先日大使公邸で上映した映画『子供たちの涙 ~日本人の父を探し求めて』のテーマだった、先の大戦時の負の遺産の、オランダ人の戦争孤児や戦争犠牲者をゲストに招いて、両国の関係を改善する事業で今年で20回(年)を迎えます。

この数年個人的なつながりで参加してきましたが、今回外務省から、FANに対し、ホストとして2~3人参加してほしいとの要請がありました。

当日会長の村岡さんのご都合が悪かったので、副会長の白石さん、事務局長の寺町さん、そして、水迫の3人で出席しました。

レセプションは品川のホテルで開かれました。バンケットホールは華やかな雰囲気でしたが、みなさんを待つ間、その雰囲気とは裏腹に複雑な気持ちに包まれました。自分がその立場だったらどう思うだろう。戦争時、敵国であった日本軍に大切な時間、人を奪われてしまった。その国を旅し、同じ事実を共有していないその国の人と出会う――。簡単なことではないはずです。

しばらくして、17名のオランダ人がいらっしゃいました。今回のゲストは戦争犠牲者15名、孤児2名です。

山田美樹外務大臣政務官のご挨拶からレセプションが始まりました。オランダの国旗の色を配した服装に、温かな配慮が伺えて、外務省として大切にしている事業であることがよくわかりました。

佐倉日蘭協会から歌詞の配布があり、オランダ人と日本人で一緒に歌を歌いました。一緒に歌を歌うというのは交流のプログラムとしてよくありますが、今回、歌は人と人との架け橋となるのだという、その意義を心から実感しました。

戦争孤児の女性と話す機会がありました。つらい体験だったが、70年経ち、心の奥底にしまう術を身につけている。今回、日本に来ることで、その悲しみがまたぶり返してしまうのではないか、行かないほうがいいのではないかと随分迷ったけど、捕虜収容所があった九州水巻市訪問時は日本の子供たちの歓迎を受けたり、日本人と直接会ってお互いを知ったことで胸のつかえがとれた、本当に来てよかったとおっしゃっていました。

また、中央大学の学生もいらっしゃいました。中央大学では「中央大学日蘭交流会」を持続的に開催しており、学生がワークショップを行った上で、オランダの方たちと勉強会、交流を図っているそうです。戦争をまったく知らない(おそらく両親も知らない)世代が体験者から話を聞いて、その思いを受けとめるのは、とても意義のあることだと思います。

散会時、外務省の担当者からも、来年も協力をお願いしたいとのことで、一応の役割は果たせたかと思います。

最後に個人的な体験ですが、水迫からご報告します。円卓の席から立ち上がって、オランダ人同士、あるいは日本人と雑談がはじまるなかで、椅子に座ってスマホをいじっているおじいさんがいらっしゃいました。ビュッフェスタイルの食事の用意ができたとアナウンスがあったので、つたないオランダ語で、「食事が用意できましたよ」と声をかけると、はっと立ち上がり、「オランダ語ができるの?」と聞いてこられました。ちょっとだけ、と答えると、堰を切ったように自らの体験を話され始めました。

その方は戦争孤児でした。私が理解できたのは、「お父さんと最後に会ったのは14歳だった」(あるいは4歳)だけでした。おじいさんが話される内容が濃くなるのに反比例して、私の理解度はどんどん小さくなっていきました。一方で、おじいさんの心にひたひたと沈む悲しみは強く、強く響いてきました。心の傷が70年たった今、再び生々しく蘇り、おじいさんは分かってほしいと声の限りを尽くして私に語ってくれました。悲鳴にも似た心の叫びでした。理解してほしいというより、言わずにはいられなかったのかもしれません。

後でオランダ語を話す外務省の外務事務官から、おじいさんは英語ができないために、自分の気持ちを訴えたかったのだけど、それができなかったのだと聞きました。でも、それが今、できたと言っていたそうで、少しでもおじいさんの心の楽になったなら、参加してよかったと思いました。

生きていれば、誰しもつらい出来事のひとつやふたつは体験します。でも、このような悲しい体験は、誰の人生においてもまったく不必要なはずです。現在、そして将来にわたって、そんな心の傷を負う人をひとりでも少なくしていくには、本を読んだり、映像を見たりすることも大切ですが、同時にご本人にお会いしてお話を聞きながら、手を添えて肌の温かさを感じ、目を合わせながら同じ時間を共有することが、どんなメディア媒体よりも力強く、貴重なのだということを、今回のレセプションを通じて身にしみて感じました。

今回来日したオランダ人のみなさんが、来日前よりも少し心が軽くなって暮らすことができますように。

 

 

 

19 10月

日本橋・神田川一周クルーズ

秋晴れの10月4日(日曜日)、オランダ友好協会は、「日本橋・神田川クルージング」を開催しました。

午後4時、日本橋の橋の袂に集合。今回は、会員以外の方のご参加が多かったため、参加者の確認に手間取るのではと心配されましたが、小さなオランダ国旗のお蔭か、無事全員集合。むしろ野外での会費徴収となり、お札が風に飛ばされるのではないかと、会計担当の田中さんは気が気ではなかったようです。

時節柄、船着場は出入りの船も多く、結局4時半乗船、出航となりました。会員18名を含む総勢40名は、今回取り壊された国立競技場で使われていたと云うシートなどで設けられた座席に、ほぼ一杯でした。

船が出て直ぐの常盤橋手前の工事用と思われる、橋脚の極端に低い仮橋を、皆精一杯首をすくめてくぐり抜けると、後は順調に進みます。この後、今回のイベントを全面的にお世話下さった東京ウォータウェイズの成瀬船長(会員)による立て板に水の名ガイドに導かれて、90分間クルージングを堪能しました。

幕府との縁も深い「一ツ橋」、漢字のクイズになった「俎橋」等を経て、飯田橋辺から神田川に入り、後楽園・御茶ノ水・万世橋を過ぎ、柳橋でいよいよ隅田川に船は出ます。

ここまで、川沿いのビルは、オランダとりわけアムステルダムの運河では建物が全て表の顔を見せているのとは正反対に、みんな背中を向けているのは残念ですが。

隅田川に出る頃は陽もとっぷりと暮れ、川風もひんやりと肌に感じられるようになって来ました。東京スカイツリーをカメラに収めて、幾隻かの屋形船を追いかけながら、新川で再び日本橋川に入れば、後は元の日本橋船着場までほんの僅か。無事到着です。

大満足のクルージングの後は、「PRONTO日本橋3丁目店」での懇親会。これには32名が参加し、思いの外のご馳走とビールやワインに大いに盛り上がりました。お蔭で新たに入会される方も続出し、大変有意義な集まりとなりました。皆さま、誠にありがとうございました。

18 6月

映画上映会『子供たちの涙~日本人の父を探し求めて』

6月11日、オランダ大使館公邸で砂田有紀監督の『子供たちの涙~日本人の父を探し求めて』を、安田塾、在日オランダ同窓会ネットワーク(HANJ=Holland Alumni Network Japan)との共催で自主上映会を開催しました。

第二次大戦当初インドネシアで勝利をおさめた日本は、多くの在インドネシアオランダ人を収容所に入れ、さまざまな暴力、虐待、飢餓で2万数千人が犠牲になったといわれています。

また、インドネシアには300年間のオランダ植民地時代を通し、オランダ人とインドネシア人との混血女性がたくさんいました。そして、日本の軍政下、彼女たちと日本兵士との間に多くの混血児が誕生しました。

日 本の敗戦後、まもなくインドネシアは独立したため、混血児たちは母親の祖国オランダに移住することになりました。しかしオランダでは、子供たちはかつての 敵国の日本人の混血ということでいじめや差別など大変な苦労を重ねることになります。戦後70年、子供たちも高齢になりました。

砂田監督 は、オランダを訪ね、インタビューをし、7年の歳月をかけて『子供たちの涙~日本人の父を探し求めて』を完成しました。お父さんに会いたい。ただ、ただ会 いたい――。悲痛な彼らの願い、母の複雑な心境、父親探しに立ちあがった元兵士。かけたピースを探し求める姿を砂田監督が丁寧に描いた良質なドキュメンタ リー映画でした。

映画上映前には、大使、砂田監督からのスピーチ、上映後は監督とのQ&A、レセプションが開かれました。

砂 田監督が取り上げたテーマは日本ではあまり知られていません。今も監督は上映できる機会を探しています。男性と女性が出会い、子供が生まれる。人間として の普遍な営みが、戦争によって深い悲しみを落とす人生を人に強いることのむなしさ、悲劇を一人でも多く知る機会がありますように。

 

砂田有紀監督プロフィール
卒業後、米系テレビ局に就職。ロータリー奨学生としてロンドン大学修士課程で映像メディアを学ぶ。日英退役軍人の和解を描いた作品でロンドン帝国戦争博物 館映画祭ベストドキュメンタリー賞受賞。英国大学での人種問題を描いたショートフィルムは英国チチェスター国際映画祭で受賞。海外メディアの現地プロ デューサー等を経験。元兵士の取材を重ねるなか、7年前に日系オランダ人の話に出合い、作品制作を決意。

映画公式サイト

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18 6月

屋外交流会「ふなばしアンデルセン公園」

今年の桜は例年より少し早かったですね。FANでは春になると花を求めて屋外交流会を開きます。

昨年は昭和記念公園でしたが、今年は千葉県船橋市にあるアンデルセン公園に行きました。訪れたのは4月4日。天気があまりおもわしくない上に、寒い! まるで冬に逆戻りしたような陽気でしたが、上を向くと、薄ピンクにけぶる桜が満開でした。

ふなばしアンデルセン公園は広さ30万m2。船橋でなぜアンデルセン?と素朴な疑問が浮かぶと思いますが、船橋市はデンマークのオーデンセ市と姉妹都市なのです。そして、アンデルセンがオーデンセ市出身というわけです。

園内は「ワンパク王国ゾーン」「子供美術館ゾーン」「メルヘンの丘ゾーン」「花の城ゾーン」「自然体験ゾーン」の5つに分かれています。メルヘンの丘ゾーンには、デンマークの職人によって組みたてられた粉ひき風車や、デンマーク国内外ではじめて複製化が許可されてたアンデルセン像などがあります。

お花見弁当をゆっくり楽しむのも厳しい寒さでしたが、1800年代のデンマークの農家を再現したかやぶき屋根の家、童話館など見どころも多い公園でした。

 

18 6月

第6回 定例総会・演奏会

2015年1月25日、高田馬場で定例総会を開催しました。FANの運営メンバー、会員のみなさんが年初めに顔を合わせ、気持ちも新たに交流を深めました。

総会の特別イベントとして、「法竹」吹禅家の奥田敦也氏に演奏していただきました。法竹とは尺八ですが、よく見る尺八とは異なります。竹本来の自然性を活かし、内部は節を削っただけで加工がほどこされていません。吹禅とは、禅の精神を呼吸で表すことで、奏者が竹に合わせて音を奏でます。

今まで聞いてきた尺八とはまったく違う静かで複雑な音色と吹き込む息さえ楽曲の一部となり、自分がざわめく竹林におり、吹き抜ける風を聞いているようでした。

演奏の後は、みなさんで2015年の乾杯をして、「久しぶり!」「はじめまして」と、あちこちでおしゃべりが花咲く賑やかな会となりました。

今年も、さまざまなイベントを通して、FANは会員のみなさんと、ますます交流を深めていきます。ご期待ください。