25 7月

事務局長氏、第二の故郷「マーストリヒト」再発見する

今回は、駐在経験からマーストリヒトをこよなく愛する事務局長のカミングホームエッセイです。

********************************
オランダの焼物というとデルフト陶器やマックム陶器が、先ず思い浮かぶと思いますが、江戸時代、オランダから陶器が「阿蘭陀焼」という名で日本に輸出されていたことをご存知でしょうか。そして、どこの「阿蘭陀焼」が一番多かったでしょう?
それは19世紀中~後期におけるマーストリヒト製のプリントウエア(銅板転写陶器)でした。と、わけ知り顔で書きだしましたが、実は私も最近知った話なのです。

マーストリヒトはオランダ最南端、アムステルダムから電車で約2時間半のベルギー、ドイツに接するローマ時代からの古都。マース川に架かる橋をもつ要衝の地です。日本ではEU発足の基となったマーストリヒト条約で馴染みのある小都市です。

 
鎖国期、日本におけるヨーロッパの通商の窓口であった出島からは、マーストリヒト製のテーブルウェア陶器の破片が数多く発掘されており、江戸時代末期に日本人に好まれる舶来の食器「阿蘭陀焼」として出島のオランダ商館経由で「輸入」していたことが明らかになっています。

 
現在、長崎では、かつて長崎湾に突き出していた出島本来の場所に、江戸町側からの入場を可能にする「出島橋」が完成し、今年の11月に落成のお披露目式が予定されています。この機会に日蘭交流のトピックスとして、マーストリヒトウェアの特集展示が出島内で行われます。

去る6月下旬、出島史跡整備審議会の岡泰正先生が、その展示会調査のためにマーストリヒト市の文化財を管轄する学芸員と面談されることを耳にし、お許しを得てマーストリヒトの道案内を兼ね、私も同行させていただきました。(岡先生ついては、オランダの窓に「私とオランダ絵画との出会い」という題で寄稿いただいていますので是非ご覧ください)

当時のマーストリヒト陶器―プリントウェアのメーカーはペトゥルス・レグゥー社、現在のスフィンクス社です。
スフィンクス社といってもピンと来ないかも知れませんが、日本男性が勇躍オランダに到着し、空港のトイレで小用を足す時、先ず目にするのがその便器にプリントされたスフィンクスの朝顔のロゴマ-クです。朝顔の高さにわが身の足の短さをつくづく思い知らせされるのと同時にオランダ人の身長に圧倒されるものですが、その白い陶器を作っているのがスフィンクス社です。
現在の工場は、マーストリヒトではなくユトレヒトの郊外に移っているとのこと。スイスの洗浄システムのメーカー、クロエ社の傘下に入り、現在に至っています。

 
マーストリヒトでは担当のウィム・ダイクマン先生にお世話になり、かつてレグゥー本社があった場所に近く、港に面したレグゥーのネオ・クラシック様式の邸宅をめぐり、ガラスおよび陶器産業を興隆させた大実業家の足跡をご案内いただきました。
二日目のマーストリヒト市では、セラミックセンターの収蔵庫にも特別にご案内いただき、3万点以上保管されているというレグゥー社、その後のスフィンクス社、モーザ社などの製品について、実物を見ながらご教示いただきました。 銅版転写の原版が保管されている収蔵庫は湿度を低く設定してありました。

レグゥー社の創立者ペトゥルス・ラウレンティウス・レグゥーは、1801年に生まれました。日本では江戸時代後期にあたります。若くして事業を起こし、ガラスと陶器の会社を大きくして、マーストリヒトの経済発展の基礎を築きました。
その人物と鎖国期の日本が結びついていたとは、恥かしながらマーストリヒトに3年も住んでいたのに、この度の見学で初めて知りました。まさに目から鱗でした。

レグゥー社はスフィンクス社と名を変え、やがてホテルウェアなどの食器産業から主にトイレットウェアを手がける会社へと変貌してゆくわけですが、思い返しますと、15年前、私が滞在していた頃には既にマーストリヒト工場での操業を停止しており、広大な工場跡は廃墟のような様子で、近くを歩くのはちょっと憚られる雰囲気でした。
現在、その工場跡地はマーストリヒト市の再開発エリアとして建物は大方撤去され、シンボルである巨大な本館は、モダンな映画館や、マーストリヒト大学の学生寮として改装工事が急ピッチで進んでいます。

 
マーストリヒト市内にはスイスからフランス、ベルギーを経てロッテルダムから北海に注ぐマース川がゆったりと貫流していますが、スフィンクス社工場跡地の裏手にはレグゥー社当時の倉庫群とマース川への運河につながる港湾施設が残されています。
19世紀に建てられたこのレンガ色の建物群のうち、倉庫はお洒落なカフェや個性的な工房に利用されており、当時、物流の窓口であった港には、優雅なヨットやボートが係留されています。

 
岡先生、ダイクマン先生、そして私は、港のオープン・カフェで、初夏の陽射しのもと、喉をうるおしながら話を続けました。
江戸時代、レグゥー社の皿や鉢などの陶器が、ここから川船でマース川に出て、ロッテルダム港まで運ばれ、そこで大型帆船に積みかえられ、北海、大西洋、喜望峰を回り、インド洋、オランダの通商の拠点、バタヴィアに行きつき、そこからはるばる長崎の出島まで運ばれていたことを思うと感慨深いものがありました。
出島にやってきた陶器は、「阿蘭陀焼」として日本中で販売されました。オランダは、伊万里を「輸入」していただけではなかったのです。
出島に到来したマーストリヒト陶器が誕生した場所と、出発の港を目の前にして、冷えたベルギーのビールを飲みながら、お二人の先生の学術的な話を聞いていますと、陶器の通商を超えた歴史のロマンを感じ、ガラにもなく感動が私を満していきました。

帰途、アムステルダム、デルフト、デン・ハーグで美術館行脚。デン・ハーグのマウリッツハイス美術館では、岡先生がゴーデンカー館長と懇意でもありVIP待遇で鑑賞させていただきました。

 
今回、果たして道案内役が務まったかどうか心もとない限りですが、第二の故郷のマーストリヒトの歴史の側面を体感することができ、また岡先生から道々、絵画の見方などなど、いろいろなことを教えていただき、濃厚で有意義な一週間の「研修の旅」を終えたのでした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です