03 2月

花と絵

リレーブログ第5回は、世話人の鈴木さんです。オランダとイタリアの思い出を語っていただきました。

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花と絵

会員の皆さんは、幾度となくオランダに足を運んだことがあるのではないでしょうか。一方、私の訪蘭といえば1度です。しかし、忘れ難い思い出として、心に残っています。

その貴重なオランダ行は、仕事でした。1990年、アジアで初めて「花と緑の博覧会」が大阪で開催されることになりました。その3年前の1987年、オランダ政府から園芸事業調査ミッションの申し入れがありました。当時、貿易事業担当役員だったオランダ友好協会の初代会長の故石原滋氏が団長としてセゾングループ各社の関係者8名で視察団が構成され、私はその一員に選ばれました。

オランダでは、10年ごとに「フロリアード」という国際 園芸博覧会が開催されているように、園芸大国としてその名を世界に知られています。私たち視察団は、アールスメール花市場やボスコープ植木市場、植物研究所などを10日間にわたり状況視察しました。

園芸大国の実情をつぶさに見学できたことは大いに参考になり、その後、グループ内の園芸事業部門の運営にたずさわるきっかけにもなりました。

 

オランダといえば「チューリップ」の代名詞となっていますが、実は日本もチューリップ球根の大きな輸出国なのです。主要生産地である富山では大正時代から栽培が始まり、昭和13年に初めて米国に輸出されました。以後、チューリップ栽培は順調に推移し、オランダに次ぐチューリップ輸出国となったのです。富山県の砺波野では、今でも4月下旬に700品種、300万本のチューリップが咲き乱れます。

当時、輸入球根は生産地保護のために隔離栽培が義務づけられていました。オランダ政府から自由化ための隔離栽培撤廃の強い申し入れもあって、現在、隔離栽培は撤廃されています。

植物検疫官がオランダに常駐することで撤廃となったのですが、球根のみならず、切り花をはじめとして園芸植物が大量に輸入されるきっかけにもなりました。日本のチューリップ生産地の減少という負の部分もありますが、一方で様々な花を楽しめるようになりました。アマリリス球根ポットも、そのひとつです。我が家でも、冬になると、このアマリリス球根ポットを窓辺に置いて、早咲きの花を楽しんでいます。

 

外国で体験することは、様々な気づきを与えてくれます。オランダでの花の視察旅行の他にもうひとつ、体験をお話したいと思います。それはイタリアを旅した時でした。

私はクリスチャンで、「アッシジのフランチェスコ」という洗礼名をもっています。2007年10月、イタリア人で藤田嗣治の研究家、ピノ・マレラ氏に同行してアッシジを訪れました。それまでの藤田嗣治に関しての私の知識は、東京美術学校(現:東京芸術大学)の西洋画科を卒業後、フランスへ留学、フランスに帰化したおかっぱ頭でロイドめがねという風貌の画家という程度のものでした。

訪れたアッシジでは、サンピエトロ寺院美術館で、藤田嗣治展が開催されていました。そこに展示されていた作品は絵画ではなく、1951年にミラノ・スカラ座でのオペラ『蝶々夫人』の舞台演出のための舞台スケッチと舞台衣装の作品群でした。日本を舞台にした『蝶々夫人』は、外国でよく知られたオペラです。舞台スケッチには、日本の文化・風俗を表現することに細心の注意を払ったものでした。1955年、アメリカ・シカゴで上演されたミラノ・スカラ座のプリマ・ドンナ、マリア・カラスの舞台衣装なども展示されていました。藤田嗣治が、日本文化と風俗を海外にしっかり伝えるために尽力していたということに大変感銘を受けました。以来、藤田嗣治(レオナール・フジタ)の作品を鑑賞するのが楽しみになりました。

帰国してからは、藤田嗣治の随筆集である『地を泳ぐ』、『腕一本』をはじめ、彼の生涯を解説した『異邦人の生涯』などを読み漁りました。日本人としての誇りを作品に表したその生き方を読み取るために、展覧会には必ず足を運んで、じっくり鑑賞することを楽しみのひとつにしています。

 

次回は、特別寄稿を予定しています。お楽しみに!

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