ピルゼン(チェコ)の思い出

今回は、チェコに5年間暮らした中西さんの生活感溢れるチェコエッセイです。

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こんにちは、世話人の中西です。今日お話するのは、私が2001年初から5年間暮らしたチェコ共和国ピルゼンの思い出です。事務局長の寺町さんがオランダで活躍されていた同じ頃です。なぜオランダではなくてチェコなのかについては、このサイト内の運営メンバー紹介欄をご覧下さい。
まずはチェコの概要から。チェコは北海道位の広さで人口は1千万人。ドイツ、ポーランド、スロヴァキア、オーストリアの4カ国に囲まれています。

チェコの東部地域をモラヴィア、首都プラハを含む西部地域をボヘミアといい、ボヘミアは石炭・鉄鉱石などの資源に富み、16世紀から400年間当地を支配したハプスブルク帝国の工業生産の2/3を担っていました。西ボヘミアの中心都市が人口18万人のピルゼン(Pilsen、ドイツ語)、チェコ語でプルゼニュ(Plzeň)です。19世紀半ばピルゼンにシュコダ重工業という会社が生まれ、鉄道車両・船舶・蒸気タービン・自動車製造の巨大企業へと発展しました。私がピルゼンの地元企業を訪問した折、このシュコダと日本の縁についての逸話を聞きました。

  • 日露戦争日本海海戦の旗艦「三笠」はイギリスのヴィッカース社製だがその竜骨(キール)はシュコダが製作した。
  • 元経団連会長の土光敏夫氏はタービン技術者だった若い頃、当時先進技術水準のシュコダでタービンの研修をした。

余談をもう一つ。米国の通貨名「ダラー」は、16世紀から数百年の間ヨーロッパ中で使われたボヘミア銀貨「ターラー」に由来しています。

 

1989年、「ビロード革命」によりチェコスロヴァキアの社会主義体制が崩壊。1993年、チェコとスロヴァキアに分裂。2004年、両国同時にEU加盟。こうした中、90年代後半から日本企業によるチェコへの工場進出が活発化し、今日、在チェコ日本企業の数は250余社で、トヨタ、パナソニック、ダイキンはじめ日本を代表する企業が現地生産をしています。日本から欧州への投資では、チェコはイギリス、ドイツ、フランスに次いで四番目の投資先であり、チェコ側からみると日本はドイツに次いで二番目の投資国です。

EUの東方拡大の中で、多くの日本企業が中東欧へ進出しています。その中でもチェコの人気が高い理由は、欧州の真中に位置するため欧州市場への製品輸出に適していることに加え、「ものづくり」の伝統から理工系高等教育が盛んであり、エンジニア・工場労働者などの人材が豊富であることが挙げられます。日本企業の中には、「研究開発センター」をチェコに置いている会社もあります。

私の仕事は、従業員250人程のプラスチック成型加工工場を一から立ち上げて(グリーンフィールド投資)、在チェコ日本企業向けに電気電子・自動車部品などを製造する会社として軌道に乗せることで、商社員として「ものの売り買い」中心の仕事をしてきた私にはすべてが初めての経験でした。加えてEU加盟を直前に控えた当時のチェコは、EUの要求に合わせるべく諸法令はじめ国の仕組み全体を大改造中であったため、工場操業の開始認可取得までは試行錯誤の日々でした。

そんな緊張の日々を癒してくれたのがピルスナー(ピルゼンビール)でした。チェコ人は無類のビール好きで、一人当たりの年間ビール消費量は約150リットルで20年連続世界一、日本人の3倍強です。日本人の「とりあえずビール」に対しチェコ人は「トコトン最後までビール」といったところでしょうか。

代表的銘柄の「ピルスナーウルケル」(ドイツ語で「ピルゼンビールの元祖」という意味)が誕生したのは170年前です。良質の原料(ボヘミア産ホップとモラヴィア産大麦)とヨーロッパでは珍しいピルゼンの軟水が透明感のある黄金色、純白で豊かな泡、そして上品なホップの香りと苦みと、三拍子揃ったピルスナーを生み、その頃普及したガラス食器の大量生産と相まって、グラスやジョッキに注いで目と喉の両方で楽しむビールが世界に広がったそうです。今日我国で製造販売されているビールの殆どがピルスナーです。ボヘミア産ホップは品質がよく、年間生産量の半分は日本に輸出されています。

ピルゼン中心部の西ボヘミア博物館前にあるこの像は、90年前に生まれ今も人気者の操り人形キャラクター、シュペイブル(父親)とフルヴィーネク(息子)の親子です。ピルゼン出身で「人形劇の父」と呼ばれるヨゼフ・スクパが生みの親です。

ところで、チェコの人形劇は操り人形(マリオネット)が中心で、観光地の土産店で様々なマリオネットを見かけます。今日でも人形劇は盛んで、単なる伝統芸能以上の意味があるようですが、人口1千万人のこの国に3000もの人形劇団があるなんて信じられます? スクパの弟子の一人で同じくピルゼン出身のイジー・トルンカは、人形劇から始めて人形アニメーションやアニメーションの監督へと展開し、斯界では「欧州のウォルト・ディズニー」と高く評価されている人物です。

我国人形美術の第一人者・故川本喜八郎が最も傾倒し、師事したことのある人形劇の巨匠がこのトルンカです。1960年代、単身チェコスロヴァキアに渡った川本はトルンカの下で学び、後年NHK人形劇「三国志」や「平家物語」はじめ多くの作品を残しました。1998年のNHK番組『世界わが心の旅 川本喜八郎 チェコ・人形の魂を求めて』に出演した73歳の川本は、トルンカ芸術の原点を求めて師匠の眠るピルゼンを訪ねています。

中央広場に面したルネサンス様式の建物がピルゼン市庁舎で、その中に姉妹都市である群馬県高崎市から贈られた大きなダルマが鎮座しています。高崎市在のビール工場と「ピルスナーウルケル」との交流が縁で1990年に姉妹都市提携に至りました。

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ピルゼンの北70kmにはヨーロッパ随一の高級温泉保養地「カルロヴィ・ヴァリ」(Karlovy-Vary)があります。チェコ語で「カレルの温泉」という意味で、旧名はドイツ語の「カールスバート」(Karlsbad、カールの温泉)でした。

チェコの歴史上最も人気のあるボヘミア王カレル1世(後に神聖ローマ皇帝カール4世)が14世紀中頃に鹿狩りの途中見つけたという伝説のある温泉で、長期滞在型療養施設として世界中の著名人たちが訪れています。例えば、ゲーテ、シラー、ベートーヴェン、ショパン、ゴーゴリ、マルクス、エジソンなどなど。ここは「温泉つながり」で草津市やドイツのBaden-Badenと姉妹都市です。

この温泉のもう一つの特徴は、「散歩しながら12種類の源泉を飲み歩く」というもので、蛇口からチョロチョロと流れ落ちる源泉を陶器の飲泉マグカップ(写真)に受け、急須の注ぎ口のような形のところから飲みます。消化器系に効果があるそうで、私も当地を何度も訪問し都度飲泉をしましたが、鉄分が多いので「薬だと思って飲めば飲める」味です。源泉の中には炭酸泉もあり、それを利用した「炭酸煎餅」も当地の名物で、右手に飲泉カップ、左手に炭酸煎餅を持った多くの観光客がぞろぞろと歩いている姿は一寸ユーモラスです。この炭酸煎餅をルーツにもつのが、上野風月堂のゴーフルです。

同社サイトの「ゴーフル誕生秘話」によれば、明治の頃から販売していた「カルルス煎餅」という炭酸煎餅に洋風クリームを挟んでゴーフルが誕生したそうです。第一次世界大戦に敗れ、ハプスブルク帝国が消滅する1918年(大正7年)までの数百年間、チェコではドイツ語が公用語であり、この温泉は旧名の「カールスバート」だったことから、「カルルス煎餅」は「カールスバートの炭酸煎餅」のことだと思われます。 ビール、操り人形、炭酸煎餅と、チェコと日本を結ぶ様々な糸があります。

この温泉地を創設する前年の1348年、カレル王は中欧で最初のプラハ大学(現在のカレル大学)を設立しました。同大学は1947年に日本研究学科を創設し日本語教育を本格的に開始しました。私はここの卒業生数名にお会いする機会がありましたが、皆さん正しくてレベルの高い日本語を話されていました。 チェコ語の母音が「ア、イ、ウ、エ、オ」の5つということが発音上馴染みやすいのかもしれません。

温泉街の近くにはボヘミアングラスの製造会社「モーゼル」の工場とグラス博物館もあります。 当地でもう一つ有名なのがリキュールの「ベヘロフカ」です。各種ハーブを配合したもので、健康増進に良いとされ、先程の「12種類の飲む温泉」の後に続く「13番目の温泉」という別名をもっています。その配合処方は秘中の秘であり、社長と工場長の二人しか知らず、リスク対策として二人は絶対に同じ飛行機には乗らない、といった冗談のような話を聞いたことがあります。

 

お仕舞いはチェコのクリスマスの風物詩「鯉」について。淡水魚の「コイ」です。

ピルゼンに赴任した年の冬のある週末、家内と共に買い出しに行ったフランス系スーパー・カルフールの魚売り場の一角に大きな水槽が置いてありました。中を覗いたら大きな鯉たちが泳いでいるではありませんか。海がないチェコでは鱒、鰻、鯰、鯉などの淡水魚をよく食べますが、普段は切り身で売られていて、生簀での生魚販売はこの時初めて見たので驚いたものです。翌週会社でチェコ人従業員に鯉の話をしたところ、チェコではクリスマス・イヴに鯉料理を食べる習慣があり、生魚を買った人は自宅のバスタブで数週間飼って泥を吐かせ、イヴに家族で食するとの説明でした。が、この話には続きがあります。バスタブの鯉の飼育は多くの家でこども(たち)の仕事で、毎日世話をしているうちに情が移り、イヴが近づくにつれ情は深まり、しまいにはペットのように思うこどもも現れたりするそうです。 その結果、こどもたちの嘆願により生き延びる鯉は、チェコ全体で毎年数百匹にのぼる、とのことです。新聞情報なので間違いありません。

欧州訪問の際には、西ボヘミアまで足を伸ばされてはいかがでしょうか。

何か新しい発見があるかもしれませんよ。

そこへ行ったときに必要なチェコ語は ただひとつ、” Na zdraví !” (ナ ズドゥラヴィー=乾杯!=健康のために!)。

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