オランダと私

リレーブログ第7回は、世話人の岩波さんです。幼い頃から今までのオランダとのおつきあいを語っていただきます。
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私にとってオランダのイメージは、「低地に住む、自転車が大好きな、強くて大きな人たちが世界的ビジネスを行う国」です。

初めてオランダを意識したのは、東京オリンピックの時でした。当時小学1年生でしたが、オランダのヘーシング選手が柔道「無差別級」で金メダルを獲得し、「柔道で一番強い人は、日本人ではなくてオランダ人か!」と子供心にびっくりしました。

相前後して、我が家の本棚に、世界文化社が出した『世界の国を紹介する』全24巻のシリーズが加わるようになりました。オランダは、第6巻にベルギーとルクセンブルグを加えて「ベネルックス」として紹介されております。この本は今でも手元にございますが、その中に、「白人の中でもっとも大柄だというオランダ人」という文章が記載されていたので、私の中で、オランダ人は強い人に加えて「世界で一番大きい人」というイメージも定着しました。

 

次にオランダを知ったのは、犬養道子さんの『お嬢さん放浪記』と『アンネフランクの日記』を通じてでした。犬養さんのオランダでの大洪水の描写に、低地国であることを実感し、また『アンネフランクの日記』では、我が母と同じ年のアンネフランクとその家族が、ドイツのフランクフルトからオランダにわたり、第二次世界大戦下にどんな生活を強いられていたかを学び、ユダヤ人難民を国内に受け入れるオランダは「寛大なよい国だ」と思いました。その後、関連本の『思い出のアンネフランク』『アンネとヨーピー』『アンネの伝記』等が出版されるたびに購入し、オランダ人のヨーピーさんやユダヤ人のアンネフランクの義理の妹さん等が来日すると知るや、講演会にも行って、本にサインをしてもらいました。

 

1960年代~70年代はTVコマーシャル全盛の時代で、ネスカフェ(今はネスレですね)が、インスタントコーヒーのコマーシャルでの中で、「アムステルダムの朝は早い」のキャッチフレーズとともに、コーヒーの湯気と、運河と跳ね橋と自転車に乗った人々を紹介していました。その美しい映像に、「いつの日かアムステルダムに行ってみたいなぁ」とあこがれ、一方で「私は自転車に乗れないからオランダに行ったら不便だわ」と嘆いておりました。

 

オランダでもう一つ大好きなのが、絵画です。大学1年の一般教養で「美術史」の授業をとったとき、古今東西の様々な絵画の名作を先生からスライドで見せてもらいましたが、その中で一番衝撃を受けたのがレンブラントの「夜警」でした。「アムステルダム国立美術館に所蔵されているのだ」「あの光と影が醸し出す描写を、いつかぜひ一度この目で見たい」と切望しました(それから20年後に実現します)。

 

社会で働くようになってからは、オランダには、世界的企業がいくつもあることを知るようになりました。Fortune 500 Globalの企業として、Royal Dutch Shellや保険のINGは常連ですし、ブランドうさぎのミッフィーちゃん、私にはコーヒーメーカーイメージが強いけれど家電製品のみならずヘルスケアの部門でもご活躍のフィリップス、ビールのハイネケン、日本市場でもシェアが高いユニリーバ、そしてKLMオランダ航空等々、九州とほぼ面接が同じくらいの、人口が1700万人足らずの国なのに、世界的企業の数とその売り上げおよびビジネス展開は、素晴らしいと感心してしまいます。オランダ東インド会社はまさにグローバル企業のパイオニアであり、その商人魂が、脈々と受け継がれているのでしょう。

 

一生に1度は、どうしてもオランダを訪ねてみたくて、1990年代の初め、パリから無理して1泊で出かけました。当時のアムステルダムは至るところ「落書き」だらけの街で、いささかがっかりしましたが、あこがれのレンブラントの「夜警」を眺め、アンネフランクの隠れ家に行き、屋台のニシンを食べて、運河クルーズにも乗船して、大満足いたしました。

縁あって、現在、オランダ友好協会の世話役を務めておりますが、FANのオランダ通の皆さまから、いろいろなオランダの知識を教えていただけることを、とても楽しみにしております。

 

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次回は世話人の田中さんのブログです。お楽しみに!

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