13 6月

佐倉の草ぶえの丘バラ園&歴史探訪

5月29日、FANは佐倉日蘭協会のご協力のもと、バラ園ピクニックと佐倉に残るオランダの歴史を探訪するイベントを開催しました。

京成線佐倉駅からバスで20分のところに、佐倉草ぶえの丘という公園があります。ミニ鉄道や動物園、農業体験などもできる宿泊施設を兼ね備えた広大な公園です。今回のイベントは、園内にあるバラ園で盛りのバラを見るのが目的です。

バラ園は10年前に開園され、3200坪の土地に1050種類、2500株バラを栽培しています。園内には手作りのアーチやゲート、様々な構築物がバラで飾られ、昨年には世界バラ会連合から優秀庭園賞を受賞したそうです。

運営はNPOバラ文化研究所というボランティアによってなされ、開園以来、一貫してヘリテージローズ(原種・オールドローズ) の収集・保存及びバラ文化の啓蒙、普及を目的として活動されています。

FANの世話人のひとり、鈴木氏は根っからの植物好きで、その情熱、知識にはいつも驚かされるばかり。そんな鈴木氏の解説付きで最盛期を迎えるバラを観賞し、オランダに縁の深い佐倉で、佐倉日蘭協会の方々と交流する。一石二鳥のイベントです!

余談ですが、我々が日ごろバラをイメージするのはモダンローズと言われるもので、ヨーロッパを中心に人気があります。モダンローズが作出されたのは1867年以降で、モダンローズの特長である四季咲きのバラは、中国の「コウシンバラ」がもとになっています。またこれ程までにバラが広く世界に認知されたのは、ナポレオンの妻ジョセフィーヌ(1763年~1814年)の影響が大きいと、鈴木氏。彼女が愛培したバラは、まだモダンローズのできる前で、オールドローズでした。珍しい品種を採取し、その記録を画家 ピエール・ルドゥーテ(Pierre-Joseph Redoute)に描かせました。その「バラ図譜」は今もって高い評価を得ています。これは当時のバラ169品種の絵が描かれ、現在でもルドゥーテは、ボタニカル・アート(植物画)の天才画家として尊敬されているそうです。

ヨーロッパを上回るバラ好きはどうも日本のようです。日本も中国に並ぶ原種の宝庫だそうで、ミスターローズと世界に呼ばせたバラの育種家、鈴木省三(せいぞう)氏コレクションの遺産がこのバラ園に保存されています。彼は生涯128種のバラを作出し、幻の青いバラの研究にも取り組みました。死後にその技術を継承した弟子によって不可能といわれた世界初の青いバラを誕生させることができました。

参加者全員が無事、草ぶえの丘に到着。観賞する前に、鈴木氏の詳細な解説でバラの知識を得て、にわか専門家になって気のむくままに園内を散策しました。

今までのバラのイメージを覆すようなバラの数々。何の花だろうと思っていたものがバラの一種だったと知ったりもしました。

園内のあちらこちらで感嘆の声が聞こえてきます。

バラ園散策後、バーベキュー広場で、佐倉日蘭協会の皆様が用意下さったシートを懇親会会場として、乾杯! 程よい木陰に設定されたシートにFAN、佐倉日蘭協会のメンバーが入り混じって円陣を組み座りました。もう年のことなど言ってはおられません。花も棘も経験した熟成の大輪と咲き誇るバラ人達が、草原にお弁当を広げビール、ワイン、焼酎を飲みながら、バラ談義、人生談義に花を咲かせます。あっと言う間に時間が過ぎて、宴もたけなわになった頃、参加者の自己紹介が始まり、笑いと親近感に包まれました。

青空懇親会の後は、希望者による日蘭歴史探訪。佐倉高等学校記念館、同順天堂記念館を佐倉日蘭協会副会長の山岡様のご案内と説明で詳しく見物することができました。

佐倉高等学校は現在長島茂雄氏の母校として有名ですが、実は元佐倉藩主堀田正順(まさあり)が創設した藩校なのです。明治になって完成した洋風木造の二階建は、いかにも明治の学舎の雰囲気を保っています。新制高校としても使用されていたそうで、資料室には佐倉藩が藩校「成徳書院」における教育と研究のために収集した古書群籍の一部が展示されています。昭和44年に整理・目録化され鹿山文庫と呼ばれるようになりました。

『ハルマ和解』、『ドゥーフ・ハルマ』『ホッタイン博物誌』『和蘭字彙』『ウェイランド和蘭辞書』などの蘭学に関わる貴重な古書を蔵し、よく保存、管理されています。そのご苦労を垣間見る思いでした。

まさしく西洋の学問はオランダ語によって道が開かれていったという証です。FANとしても感慨深い見学となりました。

これほどの天気に恵まれるとは予想しなかった為に、参加者は汗をかきかき徒歩で佐倉順天堂記念館に向かいました。

今や順天堂と言えば名だたる医科大学であり、病院であることは誰もが認めるところですが、この病院が佐倉から生まれたことを知る人はさほど多くはないでしょう。

天保14年(1843)に蘭医佐藤泰然が蘭医塾兼外科の診療所を創設しました。彼が「順天堂」という堂号を用いたのです。これは中国の占いに使われる言葉で「天道に従う」つまり人には寿命があり、病も自然の理に従い治癒を試みるという意味だそうです。

実際にどのような治療が行われたかは、「療治定」という治療別の料金表の一覧が額になって掲げられています。庶民にはかなり高額です。例えば刀傷1寸(約3センチ)につき、金百疋(1両を仮に10万円とすると6万円位になる)で傷の長さによって料金も変化したようです。また、今でいう白内障や乳癌手術、帝王切開なども行われていました。最先端の医療は高額なものであることは昔も今も変わらないということでしょうか。

明治以降も病院として使われていたそうで、広大な敷地の中に診療所や入院病棟など施設も充実しています。診療室などは今の病院よりはるかにゆったりとして、当時の医者の権威を感じさせます。

佐倉は医学界に人材を多数輩出してきました。中でも泰然の次男に松本良順がいます。彼は長崎の医学伝習所でオランダ人医師のポンペに師事し、片腕となって長崎養成所で働きました。西洋医学を積極的に取り入れ、幕府の医学所頭取となり、明治以降は初代陸軍軍医総監を歴任したのです。有名な話として牛乳の飲用を勧め、海水浴の効能を説き、大磯に海水浴場を開設することに尽力しました。オランダとの関係で忘れてはならない一人といえます。

佐倉にはまだまだ見るべき歴史的遺産があります。時間の関係で今回は残念ながら全て廻ることは出来ませんでしたが、次回にはまた違った佐倉に出会えることを期待したいと思います。

佐倉日蘭協会の皆様には多大なご親切、ご配慮をいただき感謝に絶えません。ありがとうございました。オランダというキーワードで結ばれたご縁を大切に今後ともお付き合いをよろしくお願いいたします。

 

(撮影:中島洋一郎、佐倉日蘭協会)

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です