吉屋 敬 オランダ・風の肖像 (3)

 ハウダ焼き Goudsplateel

 

カオリンの輝き

 

オランダは十六世紀に東洋貿易を通して、VOCが運んできた中国、明の素晴らしい染付の磁器に出会って驚嘆した。それはオランダだけでなく、フランスもイギリスもドイツもイタリアもどこも同じだった。中国にとっても大事な輸出品だった磁器だが、1644年その輸出で欧州に名を知られていた明王朝は滅亡し、清にとって代わられた。その清王朝が1656年に発令した遷界令によって商船の航行が禁止され、中国陶磁器の輸出は一時的に途絶えることになった。中国陶磁はVOCの重要な輸入品だったので、これが途絶えることはVOCにとっては大きな損益で、VOCはすでに磁器を制作していた日本にその代役を与えたのだ。VOCの要望に沿ってヨーロッパ人好みの中国陶磁を真似て有田近辺で焼かれるようになった磁器は、伊万里港からオランダやヨーロッパ各国に輸出されたため、出荷港の名を取ってヨーロッパでは《伊万里》と呼ばれて珍重された。まだマジョリカ焼きのような1200℃前後の低温で焼いた分厚い陶器しか知らなかったヨーロッパ人は、東洋からもたらされたその透明度が高く白く薄手で硬質な磁器の美しく光る肌と、闊達な青い染付けに瞬く間に魅せられてしまったことは容易に想像できる。沢山の伊万里がヨーロッパの王侯貴族や裕福な商人たちに所蔵され、その輝くような透明感のある白い地に描かれた染付の磁器は彼らの城館を飾り、食卓を豪華さと気品で彩った。

 

磁器の生産にはカオリンという粘土質の土と1400℃くらいの高温で焼く技術が必要だったが、ヨーロッパでもやがてマイセンがカオリン粘土を発見し、フランスやイギリスでもカオリンが発見されて、日本人もよく知っているマイセン、リモージュ、ウエッジウッド、ローヤルドルトンなどのヨーロッパの名窯が各地に生まれたが、それらはみな中国や日本の磁器を模倣し独自に発展させたものだ。デルフト焼きやオランダ北部で生まれた有名なマッカム焼きもそうした影響下に生まれた窯の一つで、現在まで続いている。デルフト焼きはカオリンも含む陶土で焼いてはいるが、磁器より低い1300℃くらいで焼成された半陶半磁で、純粋な磁器ではない。一方マッカム焼きの方は錫釉を掛けて絵付けした、磁器以前の古来のマジョリカ焼きの面影を残した厚みと暖かさのある陶器で、デルフト焼きよりオランダ人にはファンが多く珍重されている。

何にしても初期のアートが持つ初々しさ、プリミティヴさにはいつも心を惹かれずにはいらねないものがある。中国陶磁を模倣した初期伊万里もそうだが、初期デルフト焼きのちょっとぎこちない分厚い整形や独自のデザインや絵付けを見ていると、必死にオリジナルの東洋陶磁器から学ぼうという気魄が伝わってくるのだ。だから初期伊万里にも初期デルフトにも共通する、あながち模倣だ、コピーだと言って見下せない、オリジナル作品がマンネリ化して失った新鮮さや必死さがあって見る者を感動させるのだろう。

東洋陶磁とデルフト焼きの影響を受けて、17世紀から20世紀にかけてオランダ国内にもマッカム窯はじめ沢山の特色ある窯が築かれて広まった。しかしオランダ各地に存在していた窯は短命で、今では幻の陶磁器となったものが多い。今も当時から続いているのはデルフト窯(Koninklijk Porceleijne Fles)とマッカム窯(Koninklijke Tichelaar Makkum)だけだ。デルフト焼きが17世紀後半創業なのに対して、フリースラント州マッカムに窯のある後者はデルフト焼きより古く、創業は1592年までさかのぼる。

 


 

(文章/吉屋 敬)

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