オランダ人は語学の……

オランダ人は語学の天才……!

と、よく言われる。確かに私の知る限り、ほとんどのオランダ人は、英語はもちろんのこと、ドイツ語、フランス語、スペイン語など、多言語をいとも簡単に操っている。新生児からお年寄りまで全国民の73%が英語を解する、ヨーロッパでは英国以外で唯一の英語国だ。しかも、巻き舌のアメリカ英語、口蓋内にこもったようなイギリス英語より、日本人にとっては、はるかにわかり易いスタンダードな英語だ。オランダ人同士で話しているときはオランダ語でも、ひとりでも外国人が加わると、自然に英語に変わっているのが常だ。30年余に亘って日々オランダ人に囲まれてオランダ語に接しているにもかかわらず、私がオランダ語を身につけることができていないのは、まさにこの理由による。オランダ語を話す努力はもちろん喜ばれるのだが、彼らにとっては我慢して「拙い」オランダ語を聞くよりは英語のほうがラクなのだろうし、相手にオランダ語を強いるのも気の毒に感じるのだろう。

ラテン語を母体とするロマンス諸語(イタリア、フランス、スペイン、ポルトガル語など)と、文法や語彙でラテン語の多大な影響を受けているゲルマン諸語(英語、ドイツ語、オランダ語)とでは、ラテン語文化を共有する近しさの分だけラクだろう。ドイツ語にいたっては、オランダ語とは「従兄弟」のような関係にあり、ほとんどのオランダ人はドイツ語を理解できる(逆にドイツ人にオランダ語の理解を期待するのは難しい)。

現実問題として、国境をはさんで隣接していれば、ヒトやモノの往来も盛んで、血縁も深くなろうというものだ。テレビの電波も自由に越境してくる。一般的なオランダ人の日常を見てみると、たとえば、朝、出勤前には英国BBCのニュースで格調高い「クイーンズ・イングリッシュ」にさらされる。出社して同僚とオランダ語で会話をし、会議で議論をする。その合間に、フランスやイタリア、スペイン、時には中国や日本からも仕事の電話が入ってくる。家に帰れば、「向こう3軒両隣」には必ず外国人が住んでいる。学生時代の友人がフランス人・・・、祖父がスペイン人・・・、イタリアの大学でルネッサンス芸術を勉強した・・・、などなど、子供のころから外国語に触れる機会が自然に多い。

 

オランダ人は語学の天才……本当に?

夕食後の娯楽には、ドイツのホームドラマを見たり、アメリカ映画を見たりする。オランダでは、声優による吹き替えの仕事はまず無い。すべて原語のままで流され、必要に応じて字幕スーパーが入る。たとえば「Star Wars」なら下にオランダ語の字幕が入り、フランス映画なら英語かオランダ語の字幕スーパーが入る。テレビでアメリカ映画を見たお年寄りが、「ナンだねぇー、あの外人さんたちは、えらく日本語が達者だねぇー、驚いたね」と感心したという笑い話を、落語の枕で聞いたことがあるが、こんな話はオランダではウケないだろう。これだけ密接に外国語の原語に触れているからこそ、上達は早い。まさに、某英会話スクールのCMでおなじみの「駅前留学」「お茶の間留学」だ。

必要に迫られる環境こそ、上達の早道なのだ。国土面積が九州ほど(あるいは関東地方1都6県)のところに、東京都を少し上回る1,600万の人口。しかも山が多く、わずか3割の平地が居住可能な日本と違って100%利用可能なオランダ。世界で最も人口密度の高い国のひとつだと教えられたオランダだが、行ってみればその数字のトリックが実感できる。たった1,600万人のオランダ市場だけを見ているビジネスはほとんどない。車を走らせれば、東京から神奈川や千葉に入る感覚で、すでに国境を越えてベルギーやドイツに入っている。

国の成り立ちのゆえに、ベルギーの北半分はフラマン地方と呼ばれるオランダ語圏(ちなみに南半分はフランス語圏)。そして、現在は自治権を有するカリブ海の旧蘭領アンチルス諸島と、1975年に独立した南アメリカの(かつての蘭領ギアナ)スリナム共和国。これらが、欧州のオランダ本国に加えてオランダ語を母語とする地域で、人口ではたった2,100万人。1位中国語(8億8,500万人)、2位英語(5億1,000万人)、3位ヒンディー語、4位スペイン語、5位アラビア語、・・・、9位日本語、10位ドイツ語・・・と続くなかで、やっとのことで47位に登場するオランダ語。この規模の言語を、外国人たちに期待するのは難しい。

ビジネスを先取りするためには、こちらから相手のフトコロに飛び込むのが先手必勝。このことが言語だけでなくメンタリティーの点でも国際的にオープンなお国柄を醸造してきたし、自国語にこだわらずに外国語を身につけてきた。だから、「天才」というのは、ちょっと持ち上げすぎで、「環境に素直に対応してきただけ」というのが正しいような気もする。

 

日本人は語学の……?

実際、ドイツやフランス、日本もそうだが、人口が多く自国市場が十分に大きい国々では、外向きのメンタリティーにやや乏しく、外国語への興味や習得にかける力が弱まりがちだといえるだろう。

それでも、1600年大分県臼杵湾に漂着した船がもたらしたオランダ人との「未知との遭遇」から始まって、おもに平戸や出島でオランダ人に接しオランダ語を習得していった通詞(通訳)たちの実力は、なかなかのものだった。通詞を務めるのは数家のみで、世襲であったため、一族の名誉をかけて命をかけて励んだことだろう。ほとんど座学でありながら、シーボルトがドイツ人であるのを隠してオランダ人と偽って入国した際に接見した長崎奉行所の通詞は、「これまでのオランダ人の言葉と違っている」と、見事に見破る実力があった。しかしシーボルトもたいしたもの、「これまで来ていたオランダ人は海側の出身、私は山側のオランダ人である」と切り替えして上陸許可を得た。

時代が下って、開国を迫るために黒船で来航したペリーは、当時日本で通じる外国語はオランダ語であったために、わざわざオランダ語通訳を同行していた。迎えた浦賀奉行所の通詞は、”I can speak Dutch”と英語で叫びながら近づいていく。開国交渉は、オランダ語で行われていた。遅かれ早かれ鎖国は解かれる流れにあったが、これによって結ばれた日米和親条約に続いて英、仏、露、独とも条約が結ばれた。長きに亘って唯一の西洋国として交流してきたオランダは、もはや筆頭の地位にはなく、外交は英語、化学や医学はドイツ語、音楽はイタリア語、という色分けが定着していき、それまでの蘭語・蘭学の揺るぎない地位は、ひとつまたひとつと奪われていった。オランダの大航海時代が成功裏に継続していたら、オランダ語は母語人口1位に君臨していたかもしれない。もし黒船の来航がもっと遅かったら、鎖国を解かなかったら、世が世であれば、現代日本での第1外国語はオランダ語で、「蘭会話」スクールが各駅前に展開していたかもしれない。

どんなに熱心に学んで完璧を得ても、語る中身を持たなければ意味が無い。実際の世界で有用なのは、完璧な文法や文学的な言い回しにこだわり、間違いを恐れるあまりの「重い口」ではなく、コミュニケーション・ツールとして意思を伝えることが優先の「軽い口」だ。英語が苦手で逃げていた人でも、居酒屋などでアルコールが入れば無駄な恐れが消えハードルが低くなって、結構外国人と分かり合えている。この「軽い口」は間違いなく有用だ。分かりあうことこそが大切であって、文豪レベルの完璧さは誰も求めていないのだから。

そうして私は、身長190cm、200cm に囲まれ見上げながら、ヤマトナデシコ「もどき」としては、当たりは柔らかくても言うべきことは言わなくちゃ、の精神にのっとり、「軽い口」レベルにも達していないオランダ語で挨拶のみを交わし、イヤハヤ、オランダ語は難しい・・・共通語が英語でよかった・・・と感じ、オランダのような環境に育っていたら今頃、ドイツ語、フランス語、スペイン語、中国語、韓国語など軽くマスターしていた(?)・・・などと思いながら・・・今日も仕事に励んでいる。

 

皆越尚子
1981年から日蘭経済交流に関わる。
日蘭協会会員、日本旅行作家協会会員、オランダ友好協会会員

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