孤独も不安もない明るく楽しい高齢者       ―鷹山&ポンペの楽園に見る日・蘭の真心―

鷹山&ポンペの理想郷
私は現在、米沢藩主上杉鷹山とオランダの医師ヨハネス・ポンペ・ファン・メアデルフォールトの名をとり、山形県に「鷹山&ポンペの楽園」建設事業を当地の介護施設事業者と協力して進めている。「鷹山&ポンペの楽園」は、高齢者を含め、そこに暮らす皆がクオリティオブライフを満喫できる居住区を作る新しい概念の事業である。性別、年齢出身地、学歴、職業、国籍、社会背景、資産、犯罪歴、能力、健康状態、障がいの程度に関係なく全ての人が平等に暮らし、家族や周りに迷惑をかける、悪いと思うことなく本音で楽しく朗らかに笑顔で気楽に暮らせる所である。

「鷹山&ポンペの楽園」は、小鳥や山魚、猿や狸の楽園で、米沢牛がのんびりと散歩するような環境で、暖房には温泉湯、冷房には山から流れ出る川の水を利用する。建物のアイデアはオランダにある施設から拝借した。大きなショッピングモールに笑顔と真心が着いた環境をイメージして欲しい。

1階:温泉、大多目的レストラン(イベント会場)、バー、図書、ゲーム広場、憩いの広場、中庭、スパー、美容院、学校(保育園、幼稚園、医療看護介護専門学校(日蘭教授軍団組織:障碍者ケア、末期治療、老人病など))、ディアクティビティ教室、福祉施設(リハビリ教室など)、ボランティア養成教室、訪問者滞在ホテル施設、名画座、雀荘、カラオケ、研修生アパート、診察治療室、歯科、理学治療室、警備
2階:介護の必要な方の住まい
3階:重症認知症者のグループホーム
4階:健常者のマンション

 

このような理想郷は実はオランダには至る所にある。オランダは小国がゆえにお互い助け合い、支え合ってきた歴史がある。一方、同じような精神は江戸にも息づいていた。その頃の日本は藩という小国の集まりで、藩民どうしが皆支えあい、助け合ってきたからだ。その精神は、各藩が唱えた武士道(軍人学)政治学に支えられていた。

オランダでは、助け合いの精神は、軍人学でなく、ポルダー(干拓地)精神という庶民から立ち上がった政治学によって培われてきた。人間が到底住めない河口の湿地帯を開発干拓し、全ての民は神の前に平等とし、力を合わせ喧嘩しないように落着き、徹底的に話し合い、合理性と機能性、経済性を追求し、相手の意見を聞き察し、合意を得る政治学を作った。日本の武士道、そしてオランダのポルダー。この双方に通底するのは「真心」「思いやり」である。

 

上杉鷹山とヨハネス・ポンペ・ファン・メアデルフォールト
鷹山ポンペの楽園事業は、日・蘭2人の人物に着想を得ている。日本は、江戸時代中期の大名で、出羽国米沢藩9代藩主、上杉鷹山である。山形県米沢は、東京から新幹線で2時間の所にある。明治維新当時は東北最大の都市だったが、今は寂しい豪雪の町である。

鷹山は言った。「わが領民の悲惨な状況を目にし、絶望的な気持ちになっているとき、ふと見ると、目の前の火鉢の炭火が消えかかっている。そっと取り上げて優しく辛抱強く息を吹きかけていたら、首尾よく炭火がまた燃え出し、実にうれしく思った。『同じようにして、私に託された領地と領民をよみがえらせることができないだろうか』そう自分に言い聞かせたら、再び希望が湧いてきたのだ」「赤子は自分の知識を持っていない。しかし母たるは、その子が必要としているものを悟って世話をする。それは母親に真心があるからだ。真心は愛を生み、愛は知恵を生む。真心があればできないことはない。母が子に対するように、役人も民に接しなければならない。民を愛する心さえあれば、自分に知恵がないことを嘆く必 要はない」。

オランダの人物は、幕末に日本にやってきたオランダ人医師ヨハネス・ポンペ・ファン・メアデルフォールト(1829年5月5日ー1908年10月7日)である。

ポンペ医師は日本的東洋医学の上に、将来を見る眼、民主的、合理的で機能実践的な愛と開放的な思いやりを付け加え、日本に伝えた。日本医療介護への最初の目覚めであったかもしれない。ポンペ医師の進言で作られた長崎医学伝習所(1857年11月12日設立)は、幕末に日本初の病院を作り、医療介護の前に士農工商はなく、人は皆平等であることを、勝海舟や榎本武揚、松本良順や上野彦馬などに教えた。

 

真心のある医療
悩める高齢者社会を乗り切る成功の鍵は、鷹山、ポンペ医師に見られる真心である。オランダの真心、大和の真心をいかに融合して1+1を4にするか、医療介護の現場でこの真心を如何に発揮機能させるかである。

少子化の折、ケアを外国人やロボットに頼ったり、自動化したりすることも必要だといわれる。しかし、高齢者の福祉と医療介護の向上、クオリティオブライフに繋がるかは疑問だ。介護される方もする方もストレスのない環境で、手を取り合いできるだけ体温を感じ笑顔で過ごせる努力をするほうが大切ではないか。ハンドマッサージがどこのホスピスでも歓迎されるのは、人の持つ体温と真心が伝わるからである。満足できる給与待遇や労働条件も大切だが、ポンぺから学んだ医療介護の前の正義と平等、合理的機能作業とともに真心や思いやりを優先したい。

日本的な理論教育よりもオランダの専門学校や大学、病院や施設、在宅介護訪問などで行われている実践教育も必要だろう。日本中のシンクタンクがオープンマインドで自分たちの持っている能力とノウハウを出し合い協力しあい、日本の風土習慣に合ったコンピュータソフトウェアを開発し、個人の医療情報と共に関係者の皆が共有し、利用者を中心にこれを実践的に使いこなすことが必要である。

 

幸せな100
ところで、2017年の年末から政府や各種メディア、研究機関などで、高齢者や障がい者、認知症や安楽死の取材のお手伝いをした。その中で印象的だったのは90歳をなってから孤独がゆえに安楽死を願ってきた100歳の元ファッションモデルとの出会いであった。かかりつけの家庭医からは安楽死の要件を満たしていない理由で何度も安楽死実行を断られたという。その度に自殺も試みたが未遂に終った。最後の望みをかけ、2年前にハーグにある「生命の終結クリニック」を訪れたそうだ。

このクリニックは施設ではなく、安楽死の専門医というか、安楽死の特別教育や特殊訓練を受けた家庭医や老人病の専門医などの連絡場所として機能を果たしている。有志メンバーのひとりである老人病、末期緩和治療、安楽死の専門女医の知り合いは、あらゆる専門医師や専門看護師を相手に老人病や末期緩和治療、安楽死の教育をオランダ中で行っており、安楽死への条件を満たしていない患者への新たな生きがいの発見教育も入れている。この発見教育こそが最も重要なテーマだと教えてくれた。

女医は言う。「患者に向かう医師に真心や思いやりがないと、いくら教育を受けても患者のクオリティオブライフを理解できない。医師の真心や思いやりには、患者に対する関心が第一。次に瞑想できるような心の余裕(時間)と熱意(環境)、情熱(人格)と(患者の思いを)聞く耳を持つことです」。

100歳のモデルさんは何度も「生命の終末クリニック」を通し、この女医へ安楽死実行を懇願した。女医はモデルさんと長い長い対話をし、遠くに住む息子さんとも話を続けた。結果、インドネシア旧植民地オランダ海軍将校の娘を口説き落とした。ロッテルダムでの一人暮らしをやめ、息子の住むアルメーアへ引っ越し、息子の住まい近くにある高齢者住宅に入ることを決めたのだった。女医の作戦は大成功に終わった。現在、元モデルはケアハウス2階にある75m2のわが家を温め、週に3回ほど訪ねて来る息子を笑顔で迎えている。1階のカフェで多くの元孤独人と一緒にゲームをしたりしてボランティアと共にくつろぎ、多くのお茶飲み友も作った。100歳になりボーイフレンドもできた。

コミュニティに参加することが、社会への関心に繋がり、関心を持つことが愛や真心を持つことになる。真心を持てれば、孤独から解放される。マリアテレサが日本の社会に望んだことがたった一つあった。それは「関心を持つ」だった。「愛や真心の反対は憎しみや恨み、嫉妬ではありません。関心のなさです」と訴えた。

鷹山は藩民の未来に、ポンペは日本の将来に強い関心を持ち続け日本社会の変化をもたらした。我々にも真心がある。これからでも、できないことはない。

 

 

後藤 猛
1971年からオランダ在住。ジャパン・ユーロ・プロモーションズ代表。宮城県グローバル・ビジネス・アドバイザー。長崎オランダ村やハウステンボスの事業開発に関わる。司馬遼太郎の『明治創生期“太郎の国の物語”』『街道をゆく“オランダ紀行”』など数多くの番組制作に協力。オランダ高等教育審議委員などを歴任。著書に『認知症の人が安楽死する国』(雲母書房)、共著に『安楽死―生と死を見つめる』(NHK人体プロジェクト編著)などがある。