吉屋 敬 オランダ・風の肖像 (4)

 ハウダ焼き Goudsplateel

 

ハウダ再び・5月の風

 

数年前日本に帰国中の時のこと、かつてオランダに住んでいた女性が一対のコーヒーカップを持ってきた。15年くらい前にオランダに住んでいた時、ハウダのオープンマーケットの古物屋で10ギルダー(1,000円くらい)で買ったという。どんなものか素性は分らないが、オランダの思い出として大切にしてきたと言って見せてくれた。

 

カップには薄いトルコブルーの地にピンクの小花模様が細い帯状に描かれていた。裏を見ると一番上に王冠のマークがあり、その下にKoninklijk Plateelbakkerij ZUID HOLLAND=王立陶磁器会社ザイト・ホラント(社製)と書いてある。真ん中に建造物を簡略化したマークも描いてある。調べてみると、これは1898年に創業したハウダ焼きの窯元で、最盛期の1919年から21年までは300名の従業員が働いていた有力な窯元だったことがわかった。1930年にKoninklijk=Royalのタイトルを取得しているので、このコーヒーカップは1930年以後1965年までの間に制作されたものだろう。この窯は1965年で閉鎖されてしまったことが分かっているから、今では文字通りに幻の陶器だ。1930年製だとすると90年近く経っていることになるし、1965年製だとしても50年以上たっている。この細かい花模様が精巧に描かれたカップは、明らかに洗練されたローゼンブルフ系統だった。かつてオランダ人が海を渡ってきた伊万里を愛でたように、この小さなカップはそれとは知らない日本人に連れられてオランダから日本へとはるばる旅をして大切にされてきた。遠く離れた日本に連れてこられた孤独なハウダ焼きは、偶然その氏素性を解き明かしてくれた日本人に出会えてきっと喜んでいるに違いない、と私は勝手に想像した。

帰国中に私がよく散歩がてら行く古物店がある。そこでは本やCD、電気製品、家具、ブランド物のバッグや宝飾品、古着、日用雑器、食器など何でも扱っている。特に食器類は見るだけでも楽しいが、私の目当ては日本滞在中に使う日常食器やグラスだ。元は贈答品として贈られた箱入りの新品、半端になった食器類などの中に、かなり由緒正しそうな品が紛れ混んでいたりして掘り出しものに出会える楽しさもある。
ある日、高い棚の奥に雑多な花器や飾り皿に混じって、見慣れたデルフト焼きの本窯と思える置時計を見つけた。取り出して見ると紛れもないデルフト焼きの窯元Porceleyne Fles社製の置時計だ。裏を返すと、案の定ポルセレイネ・フレス社の徳利のマークと作家、年代等の銘記がある。本場のデルフトで今購入しても1,000ユーロ(12万円くらい)はする時計だが、ここでは1,200円の札がついてがらくたの中に埋もれていた。正価の100分の1の価格を付けられたこの置時計は、私の今までの掘り出し物中でも最大の掘り出し物だろう。

 

この時計は多分家族がオランダ旅行の時に記念に購入したか、誰かから特別な贈り物として貰ったものだろうか、と私は推測した。古いものではなくわりと最近のもので、電池を入れ替えるとちゃんと動き出した。おそらく持ち主の代が変わり、デルフトを知らない次の世代の誰かが古物店に持ちこんだのだろうか。持ち主同様にデルフト焼きを知らない古物店が、単なる安物のヨーロッパ土産として値段をつけたのだろう。私に発見されるのを待っていたのかもしれない、と思うと私にはその置時計が何とも愛おしく思えた。しかし、だとすると、似たようないきさつで日本に連れてこられたハウツェプラテールだって、どこかで発見できるかもしれない。オランダではまだ手に入れたことがないハウツェプラテールを、また100分の一の価格で日本で手に入れることができたらおもしろいだろうなあ・・・。 楽しい想像に私は思わず一人で笑ったが、この次なるターゲットを日本で獲得するのはかなり難しそうな気がする。
幻の陶器とは言っても、オランダのオークションサイトでの購入の機会は沢山ある。しかし、陶磁器やアート作品は、実物を見、特に陶磁器は手に触れないと本当のことが分らないことが多いだろう。

2017年の5月の午後、私はラーヘ・ハウェを歩いていた。あれ以来何度も通っている道だが、あの頃のハウダを思い出しながら歩くことなどは滅多にない。この日、並木道の新緑を初夏の風が心地よく吹き抜けていった。私は久しぶりにあの二軒の陶器屋のことなどを思い出した。30年前のさびれた貧し気な雰囲気はあとかたもなく消えて、今のハウダはこぎれいな豊かさを見せる魅力的なローカル都市に変貌している。その後の30年間のオランダの堅実な発展が、町のたたずまいや人々の服装、ショーウインドウに飾られた品々、店の種類や雰囲気すべてに反映されている。古い家々の並ぶ街並みは整然として美しく、どの家も非の打ちどころのないほどにきちんと手入れされて掃除も行き届き、窓はどこもぴかぴかに磨かれている。出窓や玄関横には花の鉢が置かれ植物が植えられて街並みを彩り、どこにもかつての貧し気でひなびた雰囲気を見つけることはできない。

あの店はどの辺りだったのだろうか? ここがあの店だという確証はないが、何となくここだったような気がした。私が立ちどまった目の前の洒落たギャラリーのウインドーには、絵画作品や現代陶器、アクセサリーなどが塩梅よく置かれ展示してあった。
ヒヤシンタ亡き後のある時、ヒヤシンスの花言葉を調べたことがあったのを私は思い出した。色によって意味が違うと書いてあったっけ。私がヒヤシンタに抱くイメージは、静かでちょっと寂し気だが芯の強さを秘めた青紫だった。紫のヒヤシンスの花言葉は《悲しみを超えた愛》と書いてあった。ついでに花の色と品種の項を見て、青色のヒヤシンスが《デルフトブルー》という品種であることも私は知った。
花言葉も品種も、ともにまるでヒヤシンタのためにあるようだ、と私は思った。

店の前に立って、今日の初夏の風のように通り過ぎて行ったいがぐり頭のおじさんと、レバノン人のヒヤシンタを私は懐かしく思い出していた。

 

 

 
吉屋 敬
画家、エッセイスト、ジャーナリスト。1965~70年、オランダハーグ市の王立美術大学とフリーアカデミーで学び、故ユリアナ前女王の戴冠25周年記念肖像画展に25名の芸術家一員として日本人としてただ一人招待され、 ユリアナ女王の肖像画を制作。1974年~現在  オランダ各地、ベルギー、日本、ニューヨーク等で個展、グループ展、アートフェアー招待出品等多数。
日本では佐倉市立美術館、和光、藤井画廊、笠木画廊(鎌倉)等、オランダではヘールフィンク美術館(アムステルダム)、ボナール画廊(アムステルフェーン)などのほか、ブリュッセル、ニューヨークなど各国で展覧会を行う。著作に『楡の木の下で=オランダで想うこと』『母の秘蔵の絵』『ネーデルラント絵画を読む』(未来社)、『みずうみの家』(毎日新聞社)、『青空の憂鬱=ゴッホの全足跡を辿る旅』(評論社)などがある。
オランダ芸術家協会会員、日本旅行作家協会会員、武蔵野美術学園非常勤特別講師、フォーラムK主宰。