吉屋 敬 オランダ・風の肖像 (2)

 ハウダ焼き Goudsplateel

 

ヒヤシンタ

 

 

同じラーヘ・ハウウェ運河通りを100メートルほど進んだ先の方に、もう一軒の陶器屋があった。そこもおじさんの店とどっこいどっこいの古びた店構えで、全く同じような陶器を置いていた。違うのは絵付けのコーナーに座って絵付け師と店番を兼ねているのが、まだ20代後半くらいの若い女性だったことだ。オーナーは別にいるらしく、彼女は店をまかされているようだった。女同志のよしみで、私は彼女とすぐに親しくなった。面長の顔に長い波打つブルネットを後ろで無造作に束ねていた。大きな黒目勝ちの目にやや鉤鼻の、顔立ちがしっかりしたエキゾチックな美女だった。一見して外国人と判る彼女は、ヒヤシンタと自分の名を名乗った。素敵な名前ね、ヒヤシンスから取ったのね、と私は言った。ギリシャ神話の中に、太陽神アポロンと西風の神ゼフュロスの両方に愛されていたヒュアシントという美少年が出てくる。ヒュアシントとアポロンが仲良く円盤投げに興じているのに嫉妬したゼフュロスが西風を強く吹かせ、円盤がヒュアシントの額に当たり死んでしまった。その血の跡に咲いたのがヒヤシンスだという。このヒアシンスを女性形にするとヒヤシンタになる。

 

出身国を聞くと、彼女は5年ほど前にレバノンから難民としてオランダに来たという。私はレバノンのことを何も知らなかった。ヒヤシントがかいつまんで説明してくれたおかげで、レバノンが平和な日本から来た私にはすぐには理解できないような、また一言では説明不可能な実に複雑な歴史を持っていることを初めて知ることができた。
優れた文明を誇ったフェニキア人の古代王国として栄えていたレバノンは、16世紀になってオスマントルコに支配された。長い紆余曲折の歴史を経てその後フランスの支配下に入ったが、1943年独立を果たした。ところが当時の統治者階級だったキリスト教徒と、被統治者のイスラム教徒との間に1975年に内戦が勃発し17年間に及んだ。そこへシリアやイスラエルが政治的、宗教的な野心を持って介入し、レバノンの混迷は深まった。そしてシリアのイスラム教徒支援によってイスラム教徒が支配地を広げて権力を掌握し、長い内戦はやっと終結したという。1992年に総選挙で現政権が誕生したが、それまで続いた内戦の犠牲者は15万人に上ったと言う。

 

1977年、ヒヤシンタの両親は内戦の犠牲者となって還らぬ人となった。両親を一度に失ったものの幸いにも20歳のヒヤシンタは危険を免れ、叔母と一緒に難民として国外に逃れることができた。難民申請は受け入れ体制がしっかりしていて難民に対して寛容だと聞いていたオランダを選んだが、一旦中継地のフランスに滞在している時、もともと体が弱かった叔母は疲労と心労から肺炎にかかり急死してしまった。たった一人になったヒヤシンタはオランダを目指した。難民登録を済ませ、二年にわたって様々な適応訓練をうけた後、ヒヤシンタはロッテルダムの病院の調理場で仕事を得ることができた。そして病院で知り合ったオランダ人の看護助手と結婚したが、間もなく夫とは別れてこの店で働いているという。日本から来た私には想像もつかない修羅場をくぐり抜けてきたヒヤシンタは、家族は失ってしまったが戦火や過激な思想に支配されないこの国に来て、やっと平安と幸せを掴んだに違いない。私は彼女の話に深く引き入れられ、いつもそんな背景をこれっぽっちも感じさせず、陽気で暖かい雰囲気を失わない彼女を心から凄いと思った。

彼女は絵付けを見よう見まねの独学で学んだ。店のオーナーは私の絵付けを高く評価してくれてるし、だいたいアーティストになるのに必ずしも学校に行く必要はないでしょう?とヒヤシンタは言った。そう言うだけあって、伝統的な決まったハウダ焼きのパターンを、手慣れた筆さばきで描いていたいがぐり頭のおじさんの作品とは違って、ヒヤシンタは自分で新しいデザインを考え、なかなかモダンでアーティスティックな絵付けをしていた。私とヒヤシンタは、今度時間のある時ゆっくりお茶でも飲もうね、と話し合うほど親しくなっていた。

 

ある時店に行くと、ヒヤシンタは新しいオランダ人のボーイフレンドができてとっても幸せだ、と嬉しそうに話してくれた。彼は38歳で、ハウダ近郊の中等教育の学校で数学の先生をしているという。二人はよく行く駅に近いカフェ兼バーの常連客で、そこで出会ったという。その彼と近いうちに結婚するかもしれないと言うので、私は彼女の生活が安定して落ちつくことを心から願った。私は日本の友人たちへの贈り物として、彼女がデザインした陶器の表札を5枚ほど注文した。タイルを半切りにしたもので、アールヌーボーの装飾枠で囲んだ中にアルファベットで名前が書かれていた。ヒヤシンタのオリジナルのデルフトタイル風の表札は、今も日本の何人かの友人宅の玄関に掛かっているかもしれない。

 

それからしばらくしたある日店に行くと、珍しくヒヤシンタの姿がなかった。店には今まで会ったことのない中年の男が座って、デルフトの大皿の絵付けをしていた。彼はちらっと入ってきた私を見ると、また仕事を続けた。オーナーかな?と私は思った。

「ヒヤシンタは今日は休み?」
「ああ、ヒヤシンタはもう来ないよ。」

中年男は私の顔も見ずに絵付けに専念している。彼の手掛けている大皿はデルフト焼きのパターンを穴の開いた型紙で写し取り、それをなぞる伝統的な手法だった。フリーハンドで自由に描いていたヒアシンタの方が独創的でずっとうまいな、と私は思った。でも、もう来ないってことはヒヤシンタは首にでもなったのだろうか?

「ふーん、辞めたの? もう店には来ないの? いつ来れば会える?」矢継ぎ早に質問した。
「いつ会えるかだって?」男はやっと手を止めて初めて私を振り向いた。
「会えないよ、もう二度と。彼女は死んだよ。知らなかったのか?」

私は一瞬聞き違いかと耳を疑った。

「エッ、死んだって!? いつ、どうして? 何が起こったの?」
「もう一か月も前だよ。ところであんた、一体ヒヤシンタとどんな関係なの? 何でプライベートなことをそんなにしつこく聞くの?」

横柄で失礼な口調だった。男はまた手元の仕事に戻った。

「私? ヒヤシンタの友達よ」
「友達ならヒヤシンタが死んだのくらい知ってるはずだろ? ヒヤシンタは自殺したんだよ。葬式はとっくに済んだ。友達なら何で自殺を止めてやらなかったんだ?」

中年男はまるで私に責任があるとでも言いたげな、投げ捨てるような口調で言った。

 

ヒヤシンタが死んでから、私の陶器店通いはパタッと止まったまま月日が過ぎた。ヒヤシンタの自殺の原因は不明のままだったが、あの中年男のいる店に行きたいとは思わなかった。いがぐり頭のおじさんの店はまだしばらくは続いていただろうが、私はハウダ焼きにも陶器店にも急に興味を失ってしまったのだ。あのころ70歳くらいに思えたいがぐり頭のおじさんはもう100歳に近いだろうから、この世にはいない可能性の方が大きいだろう。 ヒヤシンタも生きていれば50歳半ばくらいになっているはずだった。

おじさんの店もヒヤシンタが働いていた店ももうない。今はハウダの町を歩いていても、こうした古い陶器店に出くわすことも、店の人と話したりすることもなくなった。

 

 

 

 

(文章・写真/吉屋 敬)