「来週の木曜日にしたんだって」
夫が帰ってくるなり、言いました。
とうとう決めちゃったんだ。
その木曜日は、オランダ人老婦人PさんがEuthanasiaをする日です。
Euthanasiaとは安楽死。その日をもってPさんは人生を終わらせます。
Pさんは、夫が5~6年前から庭やおつかいなど身の回りのお世話をしている92歳のご婦人です。一軒家におひとりで暮らしています。ミステリアスな方で、未亡人なのか、独身なのか、家族や親せきがいるのかもわかりません。家には膨大な数の書籍があるらしく、しかもロシア文学が多いことから、夫と私の間では「Russian woman」と呼んでいました。こだわりの強い方で、指定の店の鶏肉(部位も決まっている)、クラッカー、ジャガイモ、パンしか口にしません。気位も高く、家に出入りするヘルパーさんに易しく話しかけられることを何より嫌がっているようでした。
Pさんは数年前に脳梗塞を患い数週間入院しました。退院後は施設かという話も出たらしいのですが、Pさんにとって施設は論外でした。家に戻り、ヘルパーさんの数を増やし、夫も週1~2回立ち寄っては指定の物を買ったり、本の整理を手伝ったりしていました。そうしているうちにベッドから起きあがれない日が週1回から2回、3回と増えていき、持病のリュウマチの痛みが強くなり、耳も遠くなっており、この先もベッドの上でどうすることもできない日々を重ねるだけにすぎない。実際、長生きしすぎている気がする。そろそろおしまいにしてもいい、ということをよく口にするようになったと、夫から聞いていました。
私はPさんとお会いしたことはありません。家に行ったことはありますが、オランダ語がつたない日本人の相手をするのは体力的にも厳しいかろうということで、夫が家の用事をする間、家の前で待つことにしました。Pさんは窓越しに私に手を振ってくれました。会ったことはないけれど、夫が家に忘れた携帯にでたらPさんで「オランダ語、上手になってきたわね」と短い会話を交わしたこともあり、逆光で表情はわかりませんでしたが、笑顔だったと思っています。
安楽死については、オランダでは合法だが、したいからってすぐできるものではないという程度しか知識を持ちあわせていません。Pさんの場合、2~3人の医師(あるいは特別な資格がある人?)がPさんの元を訪ね、対話を重ね、健康状態に関して医師同士で意見交換をして結論が導かれたようです。結論に達するまでに要した時間は、多分数か月。結論がでてから、その日を迎えるまでの期間は1週間。「木曜より早くてもよかったのだけど」とPさんは夫に言ったそうです。家の中を自由に動き回っていたころからベッドに伏せることが多くなった今まで、Pさんの変化をつぶさに見てきた夫は、Pさんの決断に理解を示しています。
オランダに住んで以来、安楽死を選んだという話は間接的に聞くことがありました。「一年後におしまいにする」と宣言し本当にその通りにした人など、会ったことのない人の話だったとしても、「死」というか「死の迎え方」について漠然としたイメージしかない自分にとっては、くっきりと輪郭をもって考え、かつ実行する/できることに、割り切れないざらっとした気持ちになりました。
Pさんは自分が見知っている人のなかで安楽死を迎える初めての人になります。だから、よりリアルに「安楽死」について考えさせられました。どうして死を自ら選ぶのだろう、その日までどういう気持ちで過ごすのだろう。
Pさんの歳になれば考え方はまた違ってくると思いますが、今のところ、「生と死は人間にはコントロールできない」という考え方がしっくりきます。あるいは宗教系のメディアで「身体は神様から与えられた借り物にすぎず、その借り物が機能しなくなる日まで精いっぱい生きる」という下りを読んだことがあり、どの宗教だったかは覚えていませんが、響くものがありました。それもまた、生きること、死ぬことは人間が関与できない領域にあるという考え方から発せられていると思います。
とはいえ、その考えを確信できているわけではありません。死さえも自分で判断できると考えると生きていくのがしんどそう、自分でコントロールできない領域があるなら委ねて生きていこうと思うほうが楽、というほうが正しいかもしれません。とはいえ健康体だからそう考えられるのであって、苦痛が伴う不治の病を患いベッドに横たわるだけ、Pさんのようにままならない身体をはっきり自覚できてしまうようになれば、死も自分で決められると考えたほうが楽になるかもしれません。
「頭は冴えわたっているからこそ、日を追うごとに身体がいうことをきかなくなるのが耐えられないんだろうね」と夫。確かに自分の状況がわかりすぎるほどわかってしまうのは、Pさんのような方にはつらいことなのだと思います。一人で凛と生きていきたいのに他人に頼らざるを得ず、状況が今後よくなることはありえない。そういった見通しがついてしまうのは惨酷なことなのかもしれない。自分の母親のように息をすることさえも分からなくなった方が、本人は楽なのかしら。
Pさんはその瞬間をたった一人で静かに迎えたいそうです。最初にそれを聞いたときは、Pさんのタフさに眩暈を覚えましたが、それは強靭な精神というよりも、夫からもれ聞く話をつなぎあわせると、Pさんは自分の意志、考え方を貫きたいと考える方であり、最後まで自分のペースを保ちたいという気持ちが強いからなのかなと思いました。また、死後の段取りも、自分の両親が眠る教会でセレモニーを行うこと、ラテン語でやってほしいこと、合唱団を呼んで讃美歌をうたってほしいなど、すべて整えられています。
気難しいPさんに夫がこぼすこともよくあり、Pさんはほぼ毎日のように2人の会話にのぼっていました。そんなPさんのことをライブで聞くのも、あと4日。どんな風に過ごされるのかな。Pさんは無類の野鳥好きなので、自分で撮りためた野鳥のベストショットを夫経由でメールで送ったりしています。少しでも笑顔になる瞬間があればいいなと思って。彼女が慰められるというより、自分を慰めたいのかもしれないです。
今日もPさん宅に寄った夫にPさんの様子を聞いてみました。
「ヘルパーさんにお葬式の段取りの話をしたら、“ラテン語にしたら誰もわからないんじゃないですか?”って言われたらしいよ。そういう問題じゃないのに!ってプリプリ怒っていたよ」。「もうちょっとそばにいたほうがいいかと尋ねたら、これからテレビでブラックホールのドキュメンタリーが始まるから帰ってだって(苦笑)」。そして夫は一冊の本をPさんから託されています。オランダ人のナチュラリストのエッセイで、読後感想を聞かせてほしいと言われたそうです。最後の宿題に、夫は今、必死に本を読んでいます。
あと4日だったとしても、Pさん節は変わらず。安楽死に心が乱されるのは周りの人だけで、当の本人はその日まで心静かに淡々と日常を送るのみなのかもしれません。Pさんにとって安楽死は、死ぬことではなく、多分、そういった日常を終わらせてもいいなということなんだと思います。
「死」はそれだけを切り取って考えるものではなく、人生という長い長い旅とともに語るものなのだと、Pさんが教えてくれているように思います。
初めて安楽死について詳しい文章を読みました。安楽死を選ぶ人それぞれに根拠があるのだと思いますが、Pさんの人生には一本筋が通っていて、その生き方が尊重される制度なのかもしれません。